丁寧に話すということ。

 

 Twitterが好きだ。どうにもやめられず、きっと僕は狂っていると思う。一日中見ていられるくらいだ。気になる人のお気に入りを全部読んだり、その人のリプライ先のツイートや、リプライ先の人のお気に入りまで読み込んだりもするほど。

 

 Twitterが好きなのは、そもそもこのブログもそうなんだけど、どこまでも丁寧に言葉を編集できる、という点に尽きる。

 たとえば、お酒の席はそうではない。直接アレコレ話す場に居る時には、発する言葉はそこで思いついたものをパッと口から出す。「うーん、あの、これこれがこうで…」と前提を増しに増すことは難しい。刹那的な、瞬間的なコミュニケーションが求められているから。そこには瞬発力が必要で、それを持つ人がきっと「コミュニケーション能力が高い人」として認定される。

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 Twitterやブログは、直接の会話コミュニケーションとは違う。「うーん、あの、これこれがこうで…」をどこまでも膨らませることができる。つまり、コミュニケーションのために用意する材料、時間的余裕を思い通りに設定・準備することができる。どうすればより伝わりやすいのか、どんな言葉使いをすれば、どのタイミングで、どんな画像を添えて。それらを考えに考え、もっとも伝わりやすそうな形ができたら発信。これを「編集」と呼ぶのだ。もとより酒の席にそんな時間は許されていない。

 

 昨晩Twitter上、地元の友達から素敵なリプライがあった。

 これこそまさに、上記の「編集」の一言で片が付く。僕は自分の恋人のことを、もっともっと、できる限り丁寧に大切に扱いたいと思っている。だから、わざとらしくも「恋人」という言葉で彼女を表現することで、一歩遠いところから構えて見るようにする。

 彼女は本当に良い人だ。最高の人間だと思ってる。宗教的崇拝に似たような感覚すら持つ。底抜けに優しくて、よく笑ってくれる。僕のことを好きでいてくれているという信頼もある。だからこそ、もっと丁寧に、自分が想像しうる最高な形をもって彼女を表現したいと思う。ここの「彼女」は"her"の方。

 

 普段、会話のコミュニケーションにおいて、僕は自分のことを「俺」とか、「僕」とか、バラバラな第一人称をもって表現する。これもまさにリアルタイムの編集。この人には丁寧に接したい、この事を話す時にはしっかりした言葉で伝えたい、という思いを人称の形に表している。時に僕は、僕であり、俺であり、私である。

 丁寧に表すための、「恋人」や「僕」の表記・表現。これをする時はいつも、大好きなものについて鼻息を荒げながら話す時ばかりだ。「これについて僕はこう思う」とか、「僕の恋人は本当に素晴らしい」とかいう。最近は自らを「僕」と表現することが増えてきた。それが良い。それで良いと思う。安酒ばっかり飲んでぐうたらしてるけれど、言葉ばかりは丁寧に綴られているはずだ。