他人はどうでも良い。

 

 自分以外の人間は、全員どうでも良い。服装に関しては、特に。真っ黒い格好だろうが、真っ白だろうが、何だって良い。いっそ、真っ黄色でも良い。赤青黄色を全身に散らばせていても良い。どうでも良い。

 

 察しの良い読者ならきっと気づくだろうが、僕は自分の身の回りをまるっきり肯定しがちな人間だ。ポジティブな人間。「どうでもいい」ではなく「どうでも良い」としたことは、それ。何でも良い。どうでも良い。そうなってしまった以上、また、自分ではない他人である以上、否定する訳にはいかない。「それはそれとして」をマルチツールとして、すべてを包括するように「良い」と言うこと。なんなら、評価することでさえおせっかいみたいなもんだけど。

 

 とにかく今日は否定する人間が多すぎる。『アイツはああだから嫌』『なんであんなことするんだろうな』の声がそこかしこで耳に入る。『パンクじゃない』とか『ロックじゃない』とか、本当にうるさい。メタ的でしつこいけど、それもそれとして良いのかもしれない。訳が分からなくなってきた。

 

 全部を「良い物」として見る視点を持つこと。犯罪とかは違うけど。「良い」というフィルターをあらかじめ用意して、それを通して何事をも見てみること。肯定的なバカ舌を演じてみること。

 「良い」と思おうとして何かに触れれば、仮にたとえミジンコくらい小さくとも、その「何か」の良いところが見えてくる。炊飯器に着いた指紋の数々が、生活感を表す記号みたいに見えてくる。ブサイクの女の子の鼻の形がとても美しく見えてくる。肩で風を切って歩く中学生にパンクの初期衝動を思える。きったねえ居酒屋のうっすいハムカツを楽しむことができる。

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 これは、不感症になればいいということじゃない。全部を「良い」として、いつか見たドラマの中の、「完了」だか「了」だか忘れたけど、その印鑑を書類も見ずにポンポン押していく社長になればいい、ということではない。

 「良い」と思おうとして思うこと。「いい」で全部を諦めることではなく。作為的に自分を催眠すること。そうすることで、これまでに無かった新たなことに気づける。視点がどんどん増えていく。そうしているうちに、今までは一辺倒に嫌い嫌いだったものが、どんどん良く見えてくる。気づいた時には自分の周りが全て「良いもの」になって、良いものだらけの天国だ。

 バカ舌は幸せ者だ、とよく言う。まったくその通りだと思う。『面白いから笑うんじゃなくて、笑うから面白いんです』と言ったアイドル、綺麗事っぽいけど、俺もそうだと思う。 全部どうでも良いと思う。何でも良いよ。