生活感ドバドバで生きよう。

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 「生活感の無い暮らし」には憧れない。物々が無機質に丁寧に並べられているのも、コンクリート張りの家にテーブルが一つ、みたいなのも別にいい。ミニマリズムは素敵だと思うが、小学校の通信簿の「整理整頓」の欄に毎度三角を付けられていた僕は、きっとそんなところには到底辿り着けない。興味関心が散乱しがちな僕だ。そんなもん無理に決まってる。

 紛れもなく「生活」しているんだから、それにともなって生活感が表れるのは当然のことであり、それをも削って見えなくするのは性に合わない。生きているということ。換気扇の下、タバコを吸ってデコポンを食べること。「断捨離マスター」みたいな人が先の写真を見れば、きっと発狂してしまうだろう。もちろんタバコも空き箱だ。

 

 僕は人に興味がある。そこら辺の大学生の「趣味:人間観察」とかいうふやけた物じゃない。自分の横を通り過ぎて行く、余すことなき全員の、「なぜその服を今日着ようと思ったのか」とか、「目的地と会う人は誰なのか」とか、「昼飯は」「出身は」「趣味は」とか、全てに興味がある。出身地はそうでもないか。

 なんで青いTシャツ着て赤いスニーカー履いてるんだろう?マルボロメンソールのボックスを吸っているのはどんなきっかけ?連れている犬は何歳で名前は?

 

 生活の中に、それぞれの人のストーリーがあると思う。赤と青は、好きなラッパーのファッションと同じ色合わせ。マルボロメンソールボックスは、大好きだった元カノが吸っていたのがこれだったから。耳にリボンの付いたマルチーズは、4歳のシロ。

 1000人いれば1000通りのストーリーがあって、それらがとても愛しく尊い。知りたい。知って何になるでもないが、とにかく知りたい。なんかウキウキしたい。

 ファッションは特にそうだ。思考や嗜好を外身に纏うこと。考えやこだわりを、外へ外へ出すこと。それも、見た目だけで理解するには奥深過ぎて、見るだけでは正解にたどり着くことができない。だから聞きたい。知りたい。

 

 人には人の生活がある。パチンコで負けたおっさんの財布の中身は空っぽ。バッグの小さいポケットにコンドームを入れている。覚えてもいない居酒屋のレシートがジーンズのポケットから出てくる。紫の髪をしたおばあさんはきっと「紫シャンプー」を使ってるはず。黄色い帽子の小学生が鼻くそをほじって食べた。

 それぞれがそれぞれの人生を生きていて、そこに浮いてくる二つと無い物語は、総じて尊い。生活感を愛するということは、人を愛することでもある。そういう理由で、僕は、太ったおじいさんが着ているダルダルのタンクトップとボロい団扇が好きなんだ。きったねえ居酒屋もそうだ。全部生活感からだ。

 

 自分の周りを丸ごと肯定のカテゴリに突っ込む僕は、こんなんだから部屋を汚してしまうんだよ。今日は土曜日。パンツ一丁で掃除機を持っている自分も、生活感的意味合いで嫌いじゃない。