終わりと始まり。

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 始まりがあれば終わりがあるもので、逆もまた然りだ。別れがあればきっと新しい出会いはあるし、出会いがあれば別れだって勿論ある。この写真は冬の終わりであり、春の始まり。
 雪がバカみたいに積もる真っ白な札幌の地面に、コンクリートのグレーが顔を出した。冬が終わりかけたと同時に、重ねて春が始まった。
 
 春が始まるということは、春はいずれどこかで終わるということだ。不老不死の人間はファンタジー小説の中でしか生き続けられない。いつかは人の命だって終わる。始まってしまった以上は、終わりに向かって歩み続けるより他無い。詩的表現がまたもや過ぎた。
 
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 そうして最近、春も同じく終わったようだ。別にエモーショナルでニヒルな雰囲気を出したい訳ではない。事実、ボロい塵取りの中には寂しさが集められていた。中学の頃の国語の先生が言った、『桜は散るから美しいんだ』という言葉を実感した。儚さというか、「諸行無常」までは行かないが、何とも、どれほど綺麗だったものでもいつかは終わるのだということが思い出される。美しさの概念はよく知らないけれど、多分これは美しいのだと思った。
 
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 これは去年の写真だが、きっとこれから始まる夏もこうして、2,3ヶ月くらいで終わってしまうのだろう。しおれ切ったひまわりにその夏の思い出を浮かべる日が来るのだろう。そうして、気温も同じスピードでゆったりと下がっていくのだろう。秋へ秋へと。
 
 北海道に秋は存在しない。夏の後、すぐに雪が降り出す。終わりもへったくれも無いのだ。始まりがそもそも無いんだから。
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 「終わり」というのはネガティヴに聞こえがちな言葉だが、季節に関してだけは自動的に次のが始まってくれるもので、まるっきり消極的なものでもない様な気がする。「終わりがあれば始まりがある」ということで、今僕が必死にTシャツを買い集め散財しまくっているのにも、もっともらしい理由が出来た。そういうことだ。今日の気温は20℃オーバー。そろそろ夏が始まりそうだ。