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間抜けの構造 (新潮新書)

間抜けの構造 (新潮新書)


 人生というのは「間」である。生きて死ぬまでの「間」でしかない。
 ここまではっきりと、強い言葉を以って自分の思いを表すことができる人がこれまでにいただろうか。僕はこれまで本を読まない性格であったから、きっとそういう方に出会ったことが無いだけかもしれない。

 僕らは「間」を生きている。いずれ死ぬことは明らかに決まっているし、人生のどこかにはきっと、どこまでも転落しそうなくらい深い谷があるかもしれない。「谷間」とはよく言ったもので、そういう「間」というものによって人生や世界は作られていると言っても過言ではない。

 この本は、そういうネガティヴらしい「間」を『できる限り全部埋めるように努力しなさい!』なんていう説教じみたことを言っている本ではない。むしろ、『その「間」も自分を作る一つの材料だ』とか、そういう一種の「やさしい言葉」で読者を肯定してくれる。

 「無駄なものがあった方が楽しい」だとか、「非効率なものを愛する余裕が必要だ」とか、僕は決まってこういうことを言いたがる。何も最短距離の道だけを走る必要なんて無いじゃないか。寄り道のすがらに綺麗な花が咲いていることだってあるじゃないか。僕はこれまで、ずっとそういう思考を持ちながら生きてきた。

 この本を読んで、やっぱり「間」が空いているのも良いことなんじゃないか、と思った。これまで僕が思ってきた「非効率の面白み」とか、「無駄の楽しさ」というものたちは、間違いじゃなかったのだと思った。まるっと『それでいいんじゃねえの?』と言ってもらったような。だって、「間」が無いと非効率なんて楽しめないでしょう。それは「余裕」とも言い換えることができることで。
 心のどこかに穴みたいなスペースがあって、それを「余裕」と呼んだりなんかして、その部分に無駄や非効率なものたちを詰め込んであげること。これが人生の「間」の面白さなんじゃないかと思う。そもそも無駄も非効率も有用なものではないのだから、心の「間」にギッチリ詰め込むなんてことは前提として無いんだし。


 強い言葉がズラッと並ぶ、ビートたけしさんの数々の本たち。『カンボジアに支援する必要なんて無いよ!』とか『スキー団体で金メダルって何だよ!訳わかんないよ』とかが書かれていた本は、さすがに強すぎて読むのを諦めてしまった。

 でも、こうして一冊を読み終わった体で考えれば、僕が本棚に戻したそれらの本の中にもきっと、彼なりの「優しさ」みたいなのがあったんだろうと思う。伝え方・言葉が強くても、多分パンクな姿勢で論理的な批判が連なっているのだろう。もう少し彼の本を読んで、彼なりの優しさに触れてみようと思う。