読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

1/50


 本を読んだ。他でもなく、尊敬している人から『1ヶ月に50冊読みなよ』とありがたい助言を頂いたからだ。

 たしかに僕は、これまで本を読まなさ過ぎた。新しい部屋の端っこに横たわっている甲本ヒロトの詩集は、たしか大学2年の頃に買ってもらった誕生日かなんかのプレゼントだったはずだ。二度か三度読み通して、その後は机の上にてディスプレイとして活躍してもらった。これというのも、個人的に甲本ヒロトが大好きだからという理由があってこそ読んだようなもので、多分好きじゃなかったら読みもしなかったと思う。「詩集」というのも助けて、初めて本を読み切った思い出。

 これまでこのブログにて様々な文章を書いてきて、なんだかんだ友達に褒められたり大学の教授に褒めていただいたりしてきたが、きっとこれらが僕の限界なのだろうと思う。自分がストックとして持っている表現の限界スレスレで精一杯の「いい顔」をしているに過ぎない。

 たしかに、文章表現をする人が、文章表現に触れないというのはやはり理解しがたい。客観的に見れば。甲子園を目指して汗をかいている夏の坊主頭も、きっとビデオか何かの中のプロ野球選手が振るバットの軌道を、ひたすらに目に焼き付けていたはずだ。

 僕はひたすらにスイングするばかりで、フォームのことなど何も気にしなかった。ビデオの存在を知っていながら、今ではYouTubeやその他動画サイトなんて山ほどあるのにも関わらず、それらをできる限り自分から遠ざけようとすら思っていた。自分のスイングフォームを過信するあまり。これは野球の話ではない。比喩だ。

 せっかく「東京」という新しい環境に身を置き、まさに心機一転した身なのだから、これはきっとチャンスなのだろう。僕は本を読むことにした。1ヶ月に50冊、楽しめる程度に文章表現に触れてみようと思った。

TOKYO STYLE (ちくま文庫)

TOKYO STYLE (ちくま文庫)


 最初に手にするのがこれだというから面白い。都築響一さんの「TOKYO STYLE」。東京スタイルだよ。「まんまかよ」と独り言を言いそうになった。

 この本を読んだ感想を一言で言えば、彼はきっとパンクスなんだと思う。「スタイル」というのぼせた幻想のようなもの、それはしばしばマスコミやメディアによって垂れ流される『美しき日本空間』だ。都築さんはこの著において、数々の「普通の部屋」を紹介する。「スタイル」なんていう格好良い言葉で表現されることは絶対に無いような。普通の部屋。

 食べかけのビスケットがテーブルに置かれていたり、カーテンレールに雑に掛けられたS字フックとそれに吊るされるコート類。テーブルの上にはシーブリーズ時計マグカップカッターパスタの麺貯金箱。ごたごただ。この例は極端だが、そのような、「普通」な部屋たちを紹介しながら、『これこそが魅力あるものだろう これぞ本当のことだろう』と叫ぶ。汚い部屋のページにて『混沌にこそ美しさがある』と叫ぶ。『美は乱調にあり』と叫ぶ。
f:id:nozomumiura:20160318213615j:image

 この姿に僕は、パンクロックを感じざるを得なかった。どこぞやの雑誌の中の「北欧から学ぶ丁寧な暮らし」などと言ったセリフは幻想だ。靴下を脱ぎ捨ててそのままにしたような、靴は基本的に玄関にて扉の方を決して向かないような、タバコの箱からは一本だけが飛び出て放置されているような、そんないわゆる「雑」なところにこそ、人間味や生活そのものが表れる。散らかっているのに、本人にとってはそれが秩序に沿った形で展開される。それが美しいのだ、と。

 これはまさに、僕が思うパンクロックそのものだ。雑なのも全て肯定する。パンクロックはとても優しい。ただ、嘘みたいな幻想みたいなものを突き付けるメディアは、構わず否定否定でぶち壊す。そういう姿を、この本に見てしまった。あいにく部屋にWi-Fiが通っていないから、YouTubeでAnarchy in the UKを再生するには及ばなかった。それが唯一残念だった。

 今日読んだ「TOKYO STYLE」は、正直写真まみれの一冊だ。でも、取っ掛かりとして、スタートラインに立とうとする努力として、一応は読み切れることができて本当に良かった。明日も図書館に行ってみようと思う。