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今だけが生きてる時間。


 人生は平凡だ。往々にして普通だ。普通に飯を食って、普通に仕事をして、普通に排泄、普通に性交、普通に就寝して普通に起床する。真顔の時間が人生の半分以上を占める。普通ばかりだ。
 恋人がベッドの中、横たわって細い涙を流しながら言った。『残りの期間は、二人でご飯を食べたり、銭湯に行ったり、いっそ何をしなくてもいいから普通に過ごしたい』と。彼女や仲の良い友達を残して東京へ行くことを決めた僕の隣で、温かい水滴を頬にまとわせながら言った。
 人生は平凡だ。普通だ。大きな事はそんなに起きない。ビッグニュースに驚くのもつかの間、直後には普通の日常が続く。特別嬉しいことがあっても、きっとその来週には普通の生活が帰ってくる。

 連続する普通が実は幸せだったのだということに、人は大抵気づかない。36℃のお湯が身体に刺激を与えないのと同じ。むしろ、浸かっている間にお湯が冷えて嫌になることすらある。
 人生も生活も、全くそれと同じだ。不変な普遍的な事柄がずっと身に降りかかっていれば、そのうちそれに慣れてしまう。そうして、どんどん何を思うことも無く過ごすことになる。さながら不感症に。普通なんだから。
 また、だらっと続くそれに嫌気が差してくるのも当然だ。変わり映え無い生活が毎度同じようにのしかかってくる様に思えて、ネガティヴな感情すらをも覚えてしまう。冷えつつある浴槽のお湯から、できる限り早く出ようと思ってしまうようなものだ。それでも、洗面台付近は部屋の温度を保ったままで、むしろ寒さすら感じるほど。人生は大概そんなものだ。

 普通は幸せだ。アフリカの子供がどうとか、路上のホームレスがどうだとか、そんなのは関係無い。普通の中には絶対に必ず間違いなくもれなく毎度毎回幸せがある。それに気づかないだけで、十割ある。

 彼女が流した涙は多分、僕が東京に行ってしまうことで、彼女にとっての普通が一気に無くなるということからだろう。そんなことは分かっている。僕にとっても同じだ。当たり前に寂しいし、当然苦しい。
 一番好きな友達が僕に言った。『日常がなくなるのが何よりも悲しい』と言った。彼の日常に僕は成れていたのか。僕は少しだけ驚いて、直後に目頭がぐっと熱くなった。そういうものか。良い友達を持った。僕も悲しい。

 人生は平凡だ。全部平凡だ。幸せは含まれているが、それに気づかない。気づくのはいつも、それを無くする瞬間やその周辺。ぬるま湯の気持ち良さやありがたさを気づかせるのは、ベッドに入った瞬間に感じる布団の冷たさだ。鏡が白く曇る洗面所の温度の寒さだ。


 「普段から普通の幸せに気づいた方が良い」なんてことは言えない。そんなのは無理なんだから。だったらせめて、無くする瞬間やその周辺にて、未来に訪れそうな虚無感や喪失感を意識した時でいい。ああ、幸せだったなとふっと思えばいいと思う。普通って幸せなんだな、と。そうすることで、これから続くであろう残りのぬるい普通を少しでも大切にしようと思えたら、それはきっといいことだ。僕は今、東京での生活がとても楽しみです。