「生きた服」というのがあります。


 古着への愛がとめどない。僕は古着が好きだ。たぶん恋人よりも両親よりも好きだ。また言い過ぎた。それらと同じか少し低い程度の好感。僕は本当に古着が好きなんだ。僕が自由に使えるお金のうちほとんどはアルコールになって、さっきのビールと同じ色をした排尿とともに水に流れていく。高校生の頃と比べれば、衣服に使うお金の量はぐっと小さくなったように思う。

 たしかにお金の面でも古着は助かる。好きなブランドの服が少しでも安く買えるのなら、気に入った物が定価よりとうんと安い値段で売り払われているのなら、たしかに程度の具合はあれ、それを購入したい。
 ただ、無理矢理なこじつけや自分への言い聞かせ、周囲に対する金の欠乏をひた隠しにした強がりではないが、古着の良さはお金の面だけではないようにも思う。

 服を着る。生活する。そのうちに、生活のあらゆる事象が服に表れてくる。昼に食べたうどんの出汁がTシャツに跳ねる。白いTシャツにはおばあちゃんの目尻にたしかあったような薄茶色のシミが何点か。着席時に店員がくれたおしぼりで擦ろうとは思うが、2週間くらい前の朝にテレビの中の女の人が言っていた『擦らず落とすのが大切です』という言葉を思い出して歯がゆくなったり。

 全てがこんなネガティヴなものでもない。寝癖を指でほどきながら地下鉄に乗り込み、彼女の家のすぐそばの駅から自宅付近の駅へと走る列車の中。内側のTシャツからは、昨日心地良かったお香の匂いがふんわり香ってくる。残り香みたいなやつだ。怠惰な僕はそのTシャツをそのまま畳んで引き出しに入れ、また3日後にそれを着たりもする。

 生活を重ねる上で、その生活の中にあった様々な事柄を表す何かが服に刻まれる。友達がゲッタグリップの真新しいエンジニアブーツを『履く時小指がいてえんだよ』とニコニコ言いながら僕に自慢した。足首辺りには、歩いた際に浮き出てきたシワが何本か見える。これも生活の表れだ。

 古着にはそういうのが結構ある。前に着用していた人の生活がほんのり残って顔を見せる。昔買った古着のジャケットの中から、くしゃくしゃのコンビニのレシートが出てきたこともあった。たしかチョコレートを一つとコンドームとタバコだったと思う。たしかにだらしなくて、ちょっとだけ気持ち悪くはあったけど、まあまあ面白いなと思ったのも確かだ。前にそれを着ていた人の生活の一部が残っていて、なんとなく(あー、良いな)と思った。

 服は楽しい。生活を続ける上で起こった事柄が、服にはちょっとずつ上乗せされ重なっていく。ヘビースモーカーの彼のTシャツはいつもタバコの匂い。毛玉まみれのセーターを着たあいつは毎度講義に寝坊して来た。『靴が汚い女の子はほとんどヤレる』とふんぞり返って豪語した友達の靴も同じく汚かったし、過度にだらしない僕の8ホールのブーツも跳ねた泥で汚れていた。

 新品で服を買い、それから自分色に染めていくのもきっとたしかに面白いと思う。「自分色に染めていく」なんて大げさなことを考えるのはちょっと嫌だけど。でも、僕は古着がやっぱり好きだ。表面に誰かが生きる服を僕が身に付けることで、その人がどんな人だったか、その人ならどう身に付けていたのか、そういうのをチマチマ考えるのがたまらなく好きだ。やっぱり結局のところ服は面白い。古着もすごく面白い。