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なんでもいいじゃないっすか。

https://www.instagram.com/p/_IitoSzKJP/

 靴下に興味が無い僕は、洗濯乾燥機の中に横たわる形でくたっとしている一組をテキトーに手に取っては、毎朝それを雑に履いて出かける。この日はたまたま赤だったが、普段は黒か白しか履かない。

 どうせパンツは黒。上から羽織ったライダースも黒。色合わせと差し色みたいなのを意識しながら、本当は靴下まで黒で良かったのだけど、そのままジョージコックスに足を入れたのが大きな間違いだった。友達から散々オシャレだと言われて嫌になった。違う、そうじゃない。ただ俺は、怠惰からこれを身に付けて「差し色」にかまけているだけなんだ。

 思いのほか反応が良く、なんだかひどく申し訳無い気分になった。こんなんでも、ものすごくだらしなくても、周りからオシャレだなんて言われ続けていたらそのうち僕はきっと、夏を待たずに首もとのヨレたヘインズを着るに違いない。かなりのオーバーサイズで着て、裾はタックイン。ディッキーズを7,8分にチョップし、腰回りにはベルトの代わりにシューレースか。足元をナイキのブレザーやズームオールコートでまとめては、スケートカルチャーに浸ったような。なんか、それらしくはなりそうだ。なりそうだから困ったものだ。俺、スケート下手くそだけど。

 

 「着てしまえば何とかなる」とか、「着た時点で完成」というのはいつも僕が言っている持論のようなもので、それを追いかけるように「似合う・似合わないなんていうつまらない概念は一切無い」と毎度続く。そうだ。『私、赤が似合わないんだよね~』とボヤく女の子の姿は確かに可愛いが、着てみればなかなかばっちりハマっていたりするのだ。そもそも、「似合う」なんていうのは実質、「慣れ」でしかないと思う。そんなチンケなものを信じ切っては、自分に残されているかもしれない可能性を摘んでしまうのは非常にもったいない。

 いかにその人らしく、何に縛られることも無く、ありのままに、思った通りに服を着ているか。良いと思うものを純粋な気持ちで身につけているか。その文脈で言えば、僕は中学生がここぞとばかりに着るドクロのTシャツが結構好きだ。おばちゃんが着るスパンコールがせわしないテロテロの服が好きだ。彼ららしさがにじみ出ていて、にじみ出るというのは不足な表現か。彼ららしさがドバドバ出ていて。

 いいじゃん、さっきの女の子が赤を着ても。世間で言われる『パーソナルカラー云々...』とか『~な体形の人はこれが吉!』とか、どうでもいいじゃん。ブクブクに太ったパンクスも、ガリガリのストリートファッションの人も居ていいじゃん。ルードな服を着るからって別に髭が生えていなきゃいけない訳でもないし、そんなに綺麗じゃない女の人がツインテールに髪を結んでいたっていい。

 偏見なんてぶち壊して、余計な固定観念に引きずり回されること無く、好きにしたらいい。秩序なんて後付けで決まったようなものなんだから、そんなに大したものじゃない。と、行き過ぎたパンクな姿勢がありありと出てしまったが、これは本心そのものだ。

 ジョージコックスのおかげでパンクな表現をしているのだと思われそうだ。違う、そうじゃない。元々は僕も、こんな靴は自分には似合わないと思っていたのだ。でも別に、履いてみればなかなか気に入っても来るもので、誰かが褒めてくれる頻度もそこそこある。飛び込んでみて初めてわかることもあるのだと思う。だから、まあ、別に赤のソックスも悪くないのかなあ、と。

 

 これは蛇足だが、こういう合わせもした。

https://www.instagram.com/p/-5nTP5TKLn/

 ジップに何やらパンク的な文脈を感じる合わせ。クリーンさを添えるための白のソックスは、革のせいで変な色になってしまって捨てた。これはこれで正当であり、悪くはないと思う。ただ、ソールの汚れすらパンクの文脈にくるめてしまう僕はやっぱり怠惰な人間だ。