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あれから3年にもなるのか。

今週のお題「20歳」

 

 はてなブログ今週のお題を見て、少しだけ物思いにふけった。20歳。何をしていたっけ。本当に大好きだった女の子からフラれたのはたしか20の夏だったと思う。今頃何をしてるのかなあ。今では一切の連絡をすることも無くなってしまったし、できる限り遠くに居たいとすら思うほどになってしまった。嫌いになったわけではない。僕の怠惰がたたって嫌われてしまったのだから、そんな訳は無い。全て申し訳無さからだ。ずるずると続いていた都合の良い時間が、彼女を飽きさせた。藍染が好きな、とても良い子だった。

 僕も今では変わってしまって、別の女の子を好きになった。幸い相手も僕のことを好きになって、今では一緒にいるようにもなった。僕の怠惰な性格は今でも少しとして変わってはいないけれど、そこをそれとなく諫めたり諭したりしてくれる良い奴だ。尊敬できる相手と付き合った方が良いと誰かが言っていたのを覚えているが、きっとそういう類の人間だと思う。惚気ているわけではない。

 

 22歳になった。2月終盤になれば23歳になる。20歳の頃の僕が、今の自分を見たら何と言うだろう。「変わんねえな」と言って鼻でもすするか。多分「髪切れや」とは言うんだろうと思う。エモーショナルな気分に浸り切りたいわけではないが、昔を思い出せば、昔を思ったりすれば、何となくそういう気分にもなってしまう。普段は「いつだって今が最高!」とかなんとか言っているが、結局は少し前に起こったことを想起しては、悲しくもなく寂しくもなく、あるいはその両方を同時に持ってしまうような、変な感じになってしまう。

 今は楽しいし幸せだ。たしか20歳の頃の僕もそう思っていたと思う。酒を飲み、好きな服を着て、バカみたいな顔をして友達とフラフラしていたはずだ。変わったようで変わらないのだなと思った。でも、あれからいくらかの時間が経った今、周りの風景や周囲にいる人間の顔ぶれは違ってしまった。飲み会に行けば毎度居た彼は就活に明け暮れたのち実家に帰った。LINEの連絡先の一番上にいるのは最近出会った女の子。俯瞰してみれば、何となく自分自身が変わったように錯覚する。

 「人は社会的な動物です」と、大学のおじいちゃん講師が偉人の言葉を借りて説明した。直後には、ありふれた「人は一人では生きられないんです」というのも言っていた。今では何となく、ひねくれた批判の目無しで理解できる。ありふれている言葉だとは思うが、なるほど確かにその通りだと思う。社会に触れながら、時にそれから刺激を受け、生活を続けていく。そうか、そういうことだ。周りが変わったと実感するのはきっと、自分が関係するのだ。自分が社会と関わる中で、それと比例して変わっていくことだ。少しずつ変わる自分の周辺事情に、自分の変化を見る。それは実質自分の変化だ。

 独り言みたいになってしまった。考えながら文章を書くのは良くないと何かの本に書かれていたのを読んだ。誰かのブログだったか。そんなのは忘れてしまったけど、忘れてしまうくらいだから、別にこのままでいい。

 20歳の頃の自分からはあまり変われていないけれど、周りの変化から見るに僕も変わってしまったのだろう。クドクドとした文章の書き方も、濃い髭をそのままにしてしまう癖も、ビールばかり飲んでは直後の出っ張った腹に一瞬だけ後悔するのも、あれ?あんまり変わってないな。今日の文章は何を言いたかったのかわからないなぁ。成人のみなさん、おめでとうございます。髭は定期的に剃って、ビールばかりは飲まず、楽しい生活を。