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これはこれ。それはそれ。あれはあれで、どんなのでもいい。

 

 最近はエモーショナルな表現を以って普段の生活についてのことがらばかりを書いていたから、今日は服についての一つを書いてみようと思う。せっかくHouyhnhnmのブログテーマを使わせてもらっているのだし。

 

 黒のオーバーサイズのコート。内側には黒のなんでもないスウェット。そのまた内側には黒いTシャツ。脚を防寒してくれるのはブラックウォッチのチェックウールパンツ。8ホールのネイビーのブーツ。靴下にこだわりは無く、コンビニで買った真っ黒なもの。本当なら黒いバッグを持ちたかったけれど、友達の家に置いてきて以来どこに行ってしまったのか分からない。多分彼の家のどこかに転がっているか、もしくは古着屋にブチ込まれてしまったんだろうと思う。連絡してみようかとも思ったが、別にいいや。

 例えば上の服装においては、「主役」は面積的な意味合いでもブラックのコートだ。多くの範囲を占めるアウターは、しばしばスタイルの主役になりがち。ならば、そこをいかに修飾してやるか、というのが考え方の一つで、主な流れ。今回は内側に同色を合わせることで統一感を出しつつ、パンツに含まれるネイビー、ブーツに持ってきたネイビーを乗せることでふわっと黒を飾った。ブラックとネイビーは、それらの間の色の差が小さいことから、自然と全体に統一感が出てくれて良い。シックな雰囲気も相まって。

 髪型は伸ばしっぱなしのだるだるのパーマ。襟足とサイドを強気に刈り上げていることから、全体が重たくはあれ、セットも楽なもので。真ん中で分ければ何とか様にはなってくれるし、友達から『メンズノンノみたいな髪型!』と言われたのも、きっとネガティヴなものではなかったんだろう。

 

 毎月何着かは服を買い、一度は必ず髪を整える。そういう生活が僕にはできないし考えられない。Tシャツははいっぺんに3,4袋まとめて買ったレッドキャップのパックの物があればいいし、パンツだって黒のスキニーを2本と、ヘルムートラングの黒のバイカーパンツみたいなのが1本。フレッドペリーのブラックウォッチのチェックウールパンツは古着で買ったもので、あとは全然見当すらつかない。多分それくらいしか無いと思う。あ、12SSのフェノメノンのスラックスがあったか。アレもたしか平岸あたりの古着屋で購入したはずだ。ざっと見てもそれくらいしか頭に浮かばない。僕の衣装ケースにはとにかく服が少ない。

 玄関にはスニーカーが何足かと、ブーツが3足。あとは夏にバカみたいに履き倒した雪駄が転がっているのと、スケートの練習用に買った訳のわからない980円の靴が2つ。弟が最近リーボックの鮮やかな色をしたベンチレーターを買ったが、僕はそれを好んで履かない。

 アウターが掛かる変な形の柵みたいなのにはイッセイミヤケのセットアップが一つと、カバンドズッカの黒のロングコート、端っこがボロボロになっているネイビーのステンカラーコート、表面の織りが面白いオーバーサイズのチェスターコートだけ。春夏用に買ったライナーの無いモスグリーンのコートは雑に畳まれて、多分衣装ケースの中で眠っているはずだ。ああ、ライダースジャケットもあった。甲本ヒロトの着こなしに憧れて、友達から購入した666のが一着。袖丈の短さは生まれ持った長い腕のせい。

 服が好きだとか、服の合わせの正当性が気になるとか、様々言う割には僕の部屋には服が少ない。 『パリの人は服を10着しか持たない』みたいなタイトルの本がちょっと前にすごく売れたようだけど、それを読んで影響された訳でもなく。友達が言った『三浦は結局、同じような服をバッコバコ買うよね』にはほとほと同感だ。僕は毎日同じような服しか着たくないのだ。同じような色の、同じような形の、同じようなサイズと同じようなブランド。

 スティーブジョブスの着こなしが「ミニマル」だとか言われていたのを見て、マークザッカーバーグがグレーの同じTシャツをたくさん持っているのを知って、(へーえ)と思った。別にそれが良いことだとか悪いとかは無く、単純に受け流すだけ。そうなんだ、と聞くだけ。僕もそうなりたいとか、まるまんま真似している訳でもない。

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 僕がお金を使うのは、ほとんどお酒に限る。酒さえ飲めれば何だっていいとすら思う。さすがに強すぎるけど。楽しく酒を飲んで、そこでTシャツにソースをこぼしちゃったり、後輩が口から飛ばしたアイスの混じった唾液らしいものが付着してしまったり、そういうのがあってもいい。むしろその方が楽しくて、「マジで何やってんの この服高かったんだけど」なんて口にしたあかつきにはもう、生活に寄り添った服の着方ができていないものとして興ざめだ。だからこそ、生活感がモロに出る白いTシャツが好きなんだ。きっと、多分、同じ文脈でジーンズの色落ちや、「味」と表現されがちなほとんど「汚れ」に近い経年変化も楽しめると思う。きったなくなるからこそ面白くて、その機会がより多いのが酒の席。酒の席に服を汚しに行っているつもりは無いけど、そういうこともちょっとあるかもしれない。

 服は生き方。その人がどんな生き方や生活をしているのかがハッキリ浮いて出てくる。朝方眠そうな目をして地下鉄にフラフラ乗り込むおじさんのスーツの背中にはシワが出来ていて、喫煙所にいる大学生のマウンテンパーカにはタバコの灰がいくらかくっ付いている。トゥの部分だけを鏡のように光らせている男性は金色のネックレスを首からぶら下げ、たまにそれをうっとりした顔で撫でたり指に絡ませたり。

 全部それはそれとして良い。生き方が自然と表現されてしまう服の着方については、誰がどう言ったところでその人自身なのだから、そこに言及する余地は一切無い。同じように、服だけではなく、人の生き方そのものにも何一つケチをつけることはできない。僕が酒をたらふく飲もうが、彼が競馬にどハマりしようが、彼女が正真正銘の淫乱だろうがあのおっさんがドギツい亭主関白だろうが、そんなものは誰にも関係無い。その人の生き方。それで完結。

 丁寧な生活をしている人も、雑でくだらない生活をしている人も、原色バキバキの服を身につける人も、全身真っ黒な服で身を固める人も、全員がそれはそれとして尊い。ファッションや生き方は所詮そんなものだ。全部が全部、「それはそれとして」に尽きるのだ。

 

 結局こういう文章になってしまった。まあ、これはこれで。