モテたいに決まってるでしょう。

 

 モテたい。ただひたすらに、物凄い勢いで。びっくりするほど。驚きを超え、思わず笑ってしまうくらい。すれ違う人全員から二度見されたい。バイト先のお客さん皆から「イケメンだねー」と言われたい。ちょっと気になっていた女の子から『やっぱり三浦君は優しいね』と暖かく微笑まれたい。引いては同姓すらも僕のことを好きになってほしい。すーごいモテたい。

 物事を始める上で、一番最初に頭に浮かぶのが「動機」。何のためにしたいのか、何を叶えるために行動するのか。行動の理由・意味は何なのか。それが、動機。気になるあの子を振り向かせるため、親から大人になったと認められるため、世界中の人を感動させるため。それは行動ひとつひとつに対応し、それぞれに付随して存在する。

 僕がファッションを好きになったのは、「モテたい」の動機によるものだった。ただひたすら、女の子からの『カッコイイ』を求めて、どこまでも奔走した。振り返れば色んな格好をしたものだ。華奢な身体にフィットしないだぶだぶの服を着てエミネムばかりを聴いていたこともあったし、かと思えばピッタピタの真っ黒い服ばかりを着て青白い顔をしながら街を歩いた頃もあった。漢字が書かれたTシャツしか着たくなかった時期も、無地のTシャツばかりをローテーションで着まわしたことも。その全てが、「モテたい」というたった一つの動機によるものだった。

 それは今も変わらないと思う。「着飾る」というのは、きっと、誰かから認められたいという心の表れであると思う。もちろん自己満足の世界にどっぷり浸かっているものもあるけれど。多分大半が、知っている誰かもしくは知らない誰かからの『オシャレだね』を、馬のおでこからぶら下がるニンジンみたいな要領で、鼻息を荒げながら必死に追い求めているのだと思う。馬のおでこってどこだ?なんてナンセンスな質問は要らない。やめてください。僕も知らないよ。

 心理学で習った、「マズローの欲求5段階説」というのがある。なんとなくふわっとしか思い出せないけれど、たしかあの5段階のうち、割と高度な欲求として『尊厳欲求』というのがあったはずだ。誰かに認められたい、誰かが自分のことを褒めてくれたらいい、みたいな。

 この『尊厳欲求』が、僕の中で肥大に肥大を重ね、もはや自分でもそれを枠の中に抑え込みきれなくなり、僕は「モテたい」という動機を爆発させてしまった。ぐねぐねにひん曲がったルートをたどり、こじらせてしまった。ヘンテコな形の帽子を買ってしまった。迷彩のパンツに紫のスニーカーを履いてしまった。「ありがとう」と胸にでかでかと書かれたTシャツを着てしたり顔で居てしまった。おばちゃんみたいなパーマに憧れてしまった。

 

 行動には失敗がつきものだ。「黒歴史」なんていう言葉もあるくらいにして、昔のことをふとした時に思い出したり、ひょっこり昔の何かを見つけてしまったりするのは少し恥ずかしいことだ。しかし、「失敗は成功の母」とか、「失敗は失敗ではない 失敗を繰り返すことが失敗だ」みたいな名言のツイートが定期的にTwitterのタイムラインに流れてくるたびに、それらを後ろ盾に何とか昔の恥ずかしいアレコレを正当化しようと試みる。結果それにも失敗して、より一層恥ずかしくなる。「大抵の人は忘れてるだろ」と勝手に思い込んでは、どこか遠くの方に思い切りぶん投げる。頼む思い出さないでくれ、頼む、頼むと独り言を言いながら。きっと覚えている人は覚えているのだろうけど。そうするより他に仕方が無いのだから。

 きっと今思っている「モテたい」というベタベタしてて真っ黒な不純な動機も、いつかは思い出されて僕の顔を枕にうずめさせるんだろう。足をバタバタさせる以外の発散方法が見つからなくなるんだろう。まあ、いいんだけど。そうして人は大人になっていくのだ。そうだ。20年後にこの文章を見つけることができたら、奥さんをパソコンの前に呼んで一緒に見てやるんだ。で、2人してゲラゲラ笑ってやるんだ。僕だけが顔を赤らめて。後悔みたいなものをするための予定を立てるのはちょっと意味が分からないけど、そういうことだ。

 だから僕は、今は足りない脳をフル回転させて、今出せる表現をぎゅっと絞り出して文章を書いては、「よしよし、いいぞ」と一人で呟くのだ。昔の僕が奇妙な形の帽子を被って満足気に街を闊歩していたように。「これでモテるだろ」と家の鏡の前で一生懸命キメ顔をしていた頃と同じままで。そういうことだ。あー、モテたい。失敗は怖いけど、モテたいなー。