読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雑でもいい。頑張ってさえいれば。

 

 弟と2人、全く同じタイミングと表情で「腹減ったね」と口にしてから、カレー屋さんに電話をかけるまでには大した時間はかからなかった。「恵庭(地名) グルメ」で何番目かに出てきたネパールカレーのお店。特急までの時間が空いてしまった弟を連れて、何か美味しいものでも食べに行こうと決めたのだ。電話口でネパール人らしき店員さんが言う。『あーいもしもしエベレストでーす』と。僕は「今、駅にいるのですが、お店の駐車場は空いていますか?」と返答した。すかさず『空いてまーす』の声が聞こえて、ホッとした。車での移動はこれがあるから少しやっかいだ。

 「駅からお店まで何分くらいでしょう?」と尋ねると、彼女は答えた。『うーん、ニプンくらいかな!ニプン!』。最初は何を言っているのか全く検討もつかず、「10分?10分ですか?」とひたすらに聞き返していたが、しだいに何だか理解できてきた。きっと、「2分」のことだ。なんとなくふわっとわかっていた上でイジワルで聞き返した訳ではない。勿論そんなつまらないことはしない。自分が異国の地でそんなことをされたらきっと嫌な気持ちになるだろう。そういうのは最低。人のやることじゃない。

 車を走らせている2分間は、本場のカレーのことだけが頭を占めていた。どんな種類のカレーがあるんだろうな、とか、ちゃんとナンで出てくるのかな、とか。ウキウキしながら、11月の濡れた氷にほど近い路面の上に車を走らせた。時折「キュキュキュー」と言いながら滑っているタイヤに恐怖しながらアクセルとブレーキを交互に踏んで、そうしながら2分経った頃に看板が見えた。『マウントエベレスト』と大きく書かれたそれの下、小さな窓から店員さんがこっちを覗いている。途中で買ったコーラを飲み干して、お店の中に入って行った。

 

『さっき電話した?』

女性店員が口にする。アットホームにも程がある。整った小顔の、きっとネパールの方。まるで同棲中の彼女がお風呂に入っている間に、タイミング悪く電話をかけてしまった時みたいだった。お風呂から上がって携帯を見て、彼氏からの着信が残っているのを確認し、耳元とその周辺の髪を乱雑に拭き上げ、電話をかけ直す。その一言目は必ずこれ。『さっき電話した?』。嫌いではなかった。むしろ嬉しかった。 

 僕はネパールの方とお付き合いしていたのかと錯覚しながら、「そうなんですよ~ さっき電話で駐車場の話を」と、かろうじて現実に踏みとどまった。とにかく笑顔が素敵だ。均整の取れた顔つきが、急にしわくちゃになる。目尻のシワは、カラスが歩いた後のぬるいアスファルトみたいで、消えることがいつまでも無かった。すごく綺麗な方だなあと見とれて、メニューを見るのをすっかり忘れていた。弟がちくりと僕に口撃する。『ちょっと、汽車ヤバいよ』と言った彼の顔の上を確認すれば、眉間のあたりにしっかりシワが出来ていた。

 

 テーブル付近の壁に貼り紙を一枚見つけた。きっと店員の方が慣れない日本語で一生懸命書いたのだろう。

https://instagram.com/p/-qZUi3TKOU/

 ひたすらに「いいな!」と言った。どんどん語気を強くし、どんどん惹かれていった。お母さんが小学生の僕にずっと教えてくれていた、

字は綺麗に書かなくてもいいの。丁寧に書くのが大切なんだよ。 

 という言葉を思い出したりもした。まったくその通りだ。この貼り紙の字は確かに汚い。少なくとも「綺麗」ではない。でも、きっと、何かお手本を見ながら頑張ったのだろう。日本人のお客さんにもちゃんとわかるように、漢字もしっかり確認しながら。そういう背景をなんとなくふわっと想起して、心から良いと思った。僕はこういうのが好きなんだ。バカにしているのではなく、本当に純粋な気持ちで尊敬する。尊いと思う。雑でも汚くても、心がこもっていればナンだっていいと思う。

https://instagram.com/p/-qvHbvzKPt/

 ギャグだ。

 

 頼んだ「ヒマラヤセット」が感動の最中に目の前に運ばれてきた。持って来てくれた彼女はもう、ずっと笑顔だった。それはそれはくっしゃくしゃの、読んで字のごとく破顔であった。僕もつられて鼻の下を伸ばしたり、両唇を内側にしまい込むような形の笑顔になったりした。笑顔は伝染する。国境も皮膚の色も性別すらをも超えて、どこまでも伝染していく。ちょっとだけ恋をしそうだった。

 ネパールに行ったことは無いけれど(これが本場の味なんだなぁ)と思いながら、少し辛味の強いカレーを早急に食べ終え、あの女性店員の方に「美味しかったです ありがとう」と声をかけると、彼女は『またね』と言って初恋の顔をした。ちょっと、ネパールの方に行ってみようかと思った。もしくは、何度かこのお店に通ってみようか、とも思った。札幌からはちょっと遠いけど。多分、また行きます。ごちそうさまでした。またね。