POPEYEを読んで。

 いつまでもずっと掴めない、もやっとした輪郭の言葉。「大人」。

 

 これを読んで、僕も少し頭を回して考えてみた。「大人」とは。

 浪人時代に一緒に住んでいた友達とビールを飲みながら話している時に、彼がふと口にした言葉が忘れられない。

『中学生の頃ってさ、高校生のお兄ちゃんたちがすごく大人に見えたよね。でも、今高校生を見てもちっともそうは思わないんだよな。むしろ子供に見えてしまって、そう思ったら自分も大人になってるのかな、なんて思うよな。』

 僕もそう思った。高校生の男の子のツンツンした毛先とシャリッと刈り上げられたもみあげを見るたびに、女の子たちのセーラー服・短いスカートを見るたびに、(ああ、こんな時代もあったな)と思ってしまう。バーバリーのチェックのマフラーが首元をふっくらさせていて、お尻のポケットにはルイ・ヴィトンの財布が突っ込まれている。ハイカットのスニーカーで少しだけ個性を出そうとしているのも見える。ああ、懐かしい。

 自分が通ってきた道を歩いている人を見て、それを懐古するごとに僕らは大人になっていくのだと思った。「あの頃は…」と口にするたびにきっと大人になっていくのだろう。サッカーボールをひたすらに追いかける5,6歳の男の子、ドクロのネックレスを首からぶら下げズボンを腰まで落とし、その裾をダルダルにさせている中学生、春に大学の中庭で浮ついてはしゃいでいる新入生を見た時もそうだった。確かに僕は大人になっていた。飲み会で『いやー、若いなぁ』と誇らしげに言った同期の奴も、そう思いながら口を尖らせ話していたんだ。

 同時に、僕よりもずっと年上の人々も同じようなことを考えているのだろうと思う。『俺が20歳の頃はもっと頑張って働いていたね』と満足気だったバイト先の店長はきっと、大人の視点から僕のことを見ていたのだ。バイトを休みがちな僕を諭すようにしながら、大人になった自分の存在を確かめているようにも見えた。多分。

 「大人」というのは、相対的なものか。何かと今の自分を比べることでしか存在できない概念なのだろうか。自分が大人になるということを確認するには、他の何かを引っ張ってきて自分の隣に置かなければ分かり得ないことなのだろうか。

 

 絶対的な「大人」の確信。コンビニで買ったお菓子を帰り道に開けてしまわないのが大人。甘いミルクティーよりもブラックコーヒーを飲みたくなったら。タバコを吸うようになったら。派手な服を着るのはちょっと気恥ずかしいと思ったら。ナスビの美味しさに気づけたら。居酒屋で「生1つ!」と口にしたら。スーツをバリッと着こなせたら。ジェルで髪をツヤツヤにしても恥ずかしくなければ。前髪を真ん中で分けても恥ずかしくなければ。部屋にお香を焚ける余裕ができれば。ヒゲが生えてくれば。ほうれい線が少し出てくれば。おしっこを我慢しなくなったら。

 大人の基準は難しい。とても難しくて、バキッとした定義も無いんだろうと思う。立ち読みのPOPEYEが僕に「大人」のヒントをくれたから、明日はセットアップでも着てみようと思う。足元はスニーカー。僕はやっぱりまだまだ子供だ。