コートにスニーカーもいいもんだよ。

https://instagram.com/p/8zdfQVTKOq/

 クラシックランニングのスニーカーが大流行し、今でもその波はずっと続いていて。僕の家のコンクリートの玄関にも、そういうスニーカーが増えた。季節はこれからだんだん寒くなっていき、きっとドクターマーチン8ホールやビーンブーツを履く機会はみるみる増えていくのだろうけど。

 外の寒さを懸念して、掛けてあるコートをハンガーから外す。きっとインナーとしてニットを着ているはずだ。寒いから。仮にシャツを着るにしても、きっと厚手のものを選んでいるはず。ジャケットを一枚重ねるくらいかもしれない。夏にアロハシャツを一枚ペロッと着て出かけていたのが嘘みたいだ。

 玄関に座って、数ある靴の中から服装に合う靴を一つ選び出す。靴が好きな自分からすれば、タコやイカの足の本数が羨ましくてしょうがない。一日何足もの靴を履けるだろう。僕の比喩はしばしば度が過ぎる。僕らは軟体動物じゃないから、一日一組しか靴を履けないから、玄関に座って靴たちを眺めながら頭をひねるこの時間は大切だ。「オシャレは足元から」とはよく言ったもので、靴が服装にピッタリ合っている時の気分は最高。だからこそ悩む。考える。

 文頭でも言ったように、秋や冬のシーズンはこの時間で出る結論がブーツに寄りがちだ。夏でもブーツを履いていたオシャレな人々には申し訳無いけれど。茶色のブーツ、ネイビーのブーツ、黒のブーツ。どれを手に取っても、その全てが重たい。重量的な意味合いで。

 また、ファッション的な意味合いで見ても、それらはやはり重たい。なんというか、主張が強い感じがするというか、なんというか。言葉にしづらい。「あっ、ブーツ履いてる人だ」みたいな。スニーカーを履いている人を見ても、「あっ、あの人スニーカー履いてる」とはならない。ブーツの場合はなんとなく、そうなりやすい気がする。「あー、もう冬だねー ブーツ履いてるもんねー」となるというか。思いを言葉にするのはこうも難しいものか。

 ロングコートに細身のパンツを穿いて、足元にブーツ。厚手のニットに色味の似たパンツを合わせて、ブーツ。もちろんスタイルとしては合うし、正当性だってある。きっと誰もが『いや、それは変だよ』とは言わない。ただ、それでは何だかヒネリが無いという思いが僕にはある。いや、もちろん格好良いんだけど。キマりすぎてしまうというか。「そりゃそうでしょ」という思いが出てきてしまうんだよなぁ。強い言葉をあえて使えば、真っ直ぐ過ぎてつまらない。だってそりゃそうなんだもん。合うに決まってるんだもん。ただ、これがただ吐き捨てるような批判でないことは理解してもらいたいが。

 同じくロングコートに細身のパンツを穿いて、そこにまさかのクラシックなランニング色の強いスニーカーを履いていたとしたら。個人的な好みだけれど、僕はそっちを面白いと思う。というか、僕自身そうするのが好きだ。カッチリした長い丈のコートで重みを加えて、それを引き算するかのように細いスキニーパンツを穿き、ブーツを合わせれば確実にキマってくれるのに、そこにスニーカーで抜けを作る。トータルの服装にしっかりオチを作っておくイメージ。

https://instagram.com/p/8hRizITKF_/

 

 真面目な話を延々聞いているのは辛いし、正座はそう長くできるものじゃない。もちろん真面目な話は素晴らしい。正座は礼儀正しい。でも、ずっとそれを続けられるかと言われればきっと難しい。飽きが来たり、しびれが来たりする。この文章だってそうだ。文字がズラッと並んでいるのをずーっと読んでいるのは大変だ。ここまで読んでくださって本当ありがとうございます。

 ここにも書いたように、どこかにユーモアが無くてはならないのだ。元々のものとは真逆の方向を向いたモノをぶつけてやることで、一層面白くなる。スイカに塩をかけることと全く同じだ。甘みを強めるための塩味。それによりスイカは一層美味しくなるのだ。

 だからこそ僕は、カッチリとした合わせにランニングスニーカーを合わせていたい。上の「ユーモアが無きゃダメなんだよ。」の投稿は、別にファッションのことを意識して書いたわけではない。自分の考え方をズラズラと書いただけ。でも、ファッションにも同じことが表れている。上のリンクで言う「ユーモア」、ロングコートに対する「ランニングスニーカー」を、ここでは「抜け」と表現したが。全く同じことだ。ファッションは生き方なのだ。その人の考えが一番顕著に表れるという意味で、やはりファッションは生き方であり、人そのものなのだと思う。一切ランニングはしないけどね、俺。