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犬になりたいと思った。

 

 気になるものに触れてみたい。触覚的な、肉体的なそれも勿論で、等しく、かかわりを持ったり体験したりする意味での「触れる」というのも。スイスデザインのシンプリシティに触れてみたい。自分の趣味と全然違う音楽に触れてみたい。好きな女の子のほっぺたとか耳たぶに触れてみたい。触れるということ。 

 デザインのことはよくわからないし、音楽はもともとそんなに好んで聴かないし、女の子にふと急に触れば最悪逮捕されるし。自分と全く異質のものに触れること。非日常という言葉がピッタリな、自分の生活に一切存在しないものだからこそ、関係を持ってみたいと思う。思いはするものの、なんだかちょっと気が引けたりもする。

 友達に連れられて初めて「ドッグラン」に行った時に、僕はひたすら純粋に幸せだった。犬とじゃれ合うことは、自分の日常には一切無い。実家にはかけらも仲良くなれない真っ黒なウサギが一匹と、何を考えているか全然わからない金魚がゆらゆら揺れてるだけ。ウサギも金魚も嫌いではないけど。

 そのせいで、ヨダレを垂らしながら走り回る犬を見ているのは、心から楽しくて新鮮味があった。何なら僕のニヤっぱなしの口角からもヨダレが垂れていたかもしれない。いつまでも口角が降りなかった。たまに近寄ってくるパピヨンのシエル君を、もういっそのこと口に含みたかった。羽ぼうきみたいなさらさらの耳に手の甲で触れて、そのまま頭に手を移して撫でているだけで、これまで22年かけて培ってきた自分のひねくれた人間性が、一瞬でまるっと消えてしまいそうだった。

 周りの犬と上手く仲良くできない、ボストンテリアのイギーも可愛かった。可愛い女の子を見れば、遠くからそっと見ているだけ。さっきまでの破茶滅茶な元気はどこに行ったのか。見た目で気の弱そうな小さいチワワを見つけて寄って行けば、実は11歳のおじいちゃんで、低い声でワンワン吠えられては逃げて。よっぽど怖かったのか、後ろ足のひざを使うのを忘れて、意味は違うけど、まさに「足が棒になる」といったところか。スーパーボールみたいにピョンピョン跳んで逃げてきたのには笑った。ちょっと人間みたいだなと思った。

 

 デザインも、音楽も、女の子も。女の子も?機会があれば触れることができる。今回友達がドッグランに連れて行ってくれたみたいに。最近僕は、お母さんからスイスデザイン展のチケットをプレゼントされた。レゲエのイベントに誘ってくれた友達とは仲良くやっているし、リアリティを含ませながらも演技っぽくその音楽をバカにはしたものの、きっと彼は僕を誘ってくれるだろう。女の子に関してはちょっとここでは言わないし、言えない。きっと物凄く気持ち悪くなってしまうだろうから。逮捕されたくない。

 

 触れられるにもかかわらず触れないのは、「異質なもの」としてラベルを貼っては自分から遠ざけてしまっている自分のせいだと思う。これは僕とは違う、僕と違うから関係無い、として、無意識もしくは意識的に離れたところに置いてしまっているのだろう。

 ドッグランにて全然知らない犬に近寄って行くボストンテリアのイギーを見て、自分とは違って格好良いなぁと思った。失敗はたくさんしていたけど。年配の方にガッチリ怒られてはいたけれど。それでも、他の犬に対してひたすら遊ぼうと誘っている彼を見て、羨ましいなぁと思った。こじつけではなく本当に。

 

 「自分にとってのドッグランが"普段触れないもの"であって、飛び込んでみたら意外と面白かった」ということと、「イギーが一生懸命他の犬にちょっかいをかけていて、失敗まみれだったけど何だか楽しそうだった」ということ。これらから、僕もちょっと自分を変えてみようかなと思った。「多分違うっしょ」と言いながら何もしないよりかは、今回のイギーみたいに、何でもやって試してみればいいのかもしれないなと思った。スイスデザインが自分の好みではないかもしれないけど、別にそれでもいいのかもなと思った。レゲエイベントの女の人たちは怖いけど、別に殺される訳でもなく。女の子に触れるのは良くない。逮捕は困るから。そういう話。あー、ドッグラン楽しかった。

 


いいんじゃない PSG - YouTube

『思いついたなら ほら怖がらず行けよ
明日の命はあるようでないよ
いつ死んでも後悔は無いと言えたなら』

 これだ。