壁に強気なメッセージ。

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 ストリートアートと落書きの境界線はどこにあるのか。もしも「わあ!すげえ!」と感動するかしないかがその境界線だとしたら、これを見て僕は現に(言い得て妙だ)と感動した訳で、これもストリートアートなのかもしれない。法律の壁を超えられえないから、Wikipadiaの「ストリートアート」の項に書いてあった

『建物や施設を汚損する器物損壊行為の範疇として取り締まられている。』

 というのが一番強いのだとは思うが。

 落書きやイタズラ書きが「ストリートアート」になるためには何が必要なのか。『アートは自己表現 デザインは問題解決』という言葉の通り、これが自己表現としての『感情殺したお前は犬!!』という言葉だとしたら、アートであるのかもしれない。しかし、そもそも市が作った物に勝手にこうしてメッセージを書いている訳だから、紛れも無い法律や条例を無視した行為であって。問題を起こしてしまっている訳で。アートだからと言うことで何もかも全ての制約を無視していい、という風にはならないはずで。

 その「ストリートアート」によって誰かが嫌な気持ちになったり、わざわざ手を煩わせることになるような事態に発展した時には、それはそれとして存在できなくなるのだろう。ここで言えば、市の職員の方々がこれを消すために一生懸命壁を擦らなくてはいけない。もちろんお金だってかかってくるはずで。そういう、ネガティブな動きを生んでしまった時点で、これは「落書き」や「イタズラ書き」としての枠組みに落とされてしまうというか。

 そのための法律や条例なのかもしれないな。誰かが自らと関係無いところで面倒臭いことをしなくてはならない、という事態を無くすための。みんな平等なんだから。自分だけが悦に浸って満足気にこうして壁にメッセージを書くことで、全く関係無い人が汗をかいて一生懸命その掃除をしなくてはいけなくなるのは不平等。それを極力無くしていくための決め事として。無くすというか、起こってしまった以上は迷惑をかけた人に反省してもらって、大変な作業をした人にはその反省をもってちょっとでも気分を直してもらう、みたいな。

 こういうことを思わざるを得ない時点で、「ストリートアート」なんていう概念は無いのだと思う。法律に毎度毎度かき消されて、それは存在できない概念なのかもしれない。ちょっと上手いことを言った。感動したかしなかったか、他人が面倒臭いか面倒臭くないか、そんなのはもはや考える必要も無いほど、そもそも「ストリートアート」なんて無いのかもしれないなと思った。

 それにしても、強いメッセージ。『感情殺したお前は犬!!』 よくこれが頭に浮かんだな、と。自転車に乗った子どもたちが、『お前は犬だって!犬!』と言って笑いながら通り抜けた。俺もちょっと笑った。それまで無表情で歩いていた俺は犬だったのかもしれない。