物の見方は人それぞれ。

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 パンクが好きな人と仲良くなって、僕もジョージコックスを履くようになって、アパートの下の階に住むおじさんの家のインターホンにそれを見つけた。完全に出オチだから、これから先書くことが無い。困ったもんだ。

 

 無理矢理つなげてみれば、「物の見方」の話になる。そこしか無いよ、こんなの。物の見方。この故障したインターホンを見て、(ああ故障してるんだね)と思う人は大正解だし、それを思うだけで何一つ問題無い。真っ当だ。僕は最近の彼女や彼の影響下において、ここにジョージコックスのクリーパーシューズを見た。出来上がってしまったバイアス、ちょっと強く言えば偏見のようなもののせいで、ここにパンクまでをも想起した。

 物の見方は人それぞれで、一斉に同じ物を見たとしても、100人の人間がいればきっと40くらいのそれがあると思う。100とは言わない。(俺のところのインターホンは生きてるかな)とか(何があって故障したのかな)とか、(「故障」の字上手いな)とかがそう。何かひとつ物を見て、それに対する反応の仕方はきっと人それぞれ、ちょっとずつ違うだろう。それはきっと、それぞれの人が触れてきた物や、経験してきた事柄に左右されていて。

 人はそれを「センス」と呼ぶ。物の見方、そこから発展した物の「選び方」をまとめて「センス」と。『みんなちがってみんないい』という言葉があるが、まさにそれだ。みんなちがってみんないい。生まれたところやこれまでに触れてきた物は全て異なるのだから、その途中で形成された「センス」、言い換えた「物の見方」はみんな違うに決まっている。それでいい。

 僕はいちいちそれらが気になる。友達と映画を観た後には、どこかの喫茶店でその映画について延々話したくなる。ラーメンを食べた後には「旨かったね~ どうだった?」と問いたくなる。だからこそ、1人で映画を観たりご飯を食べたりするのは気が引ける、というのもあって。雑誌を自分1人で読むことにも、綺麗な風景を1人で見ることにも、お菓子を1人でパクパク食べるのにも。その全てが嫌だ。仕方ない時もあるけれど。「嫌いだ」は強すぎるか。

 自分の周りの人々の、物の見方や感じ方を知って理解したい。そして、それによってこれから上手く付き合っていけるはずだと勝手に考えたり、上手く付き合っていけなさそうであっても、自分がその人に寄せる形で上手くやっていきたい。僕は基本的に人が好きなんだと思う。1人も楽しいけど、どうせなら誰かと一緒に何かを共有した方が良い。

 

と、1人でパソコンのキーボードをパチパチ叩いている。これから飲み会だ。行ってきます。