最低な買い物をしてしまった。

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 久々に一切のこだわり無くして靴を買った。作業着や作業用ヘルメットが置いてあるお店にて、作業用スニーカーのような靴を二足。これらは別にデザインが気に入って買った訳でもなければ、オフホワイトのクリーンさに惹かれて買った訳でもない。言ってしまえばシューレースが付いていようが真っ黄色をしていようが購入に踏み切っていたと思う。何でも良かった。それは、スケートをする際に、いつもお気に入りのスニーカーに大きな穴が空いてしまうのが嫌だったからだ。499円という、靴としては驚きの値段で、ゴミ箱に詰め込まれた雑紙のように売られていたから、これなら穴が空いても悲しくないな、と。

 

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 全てのスニーカーがこうなってしまうのが嫌だった。だらしない人だと思われそうなのが嫌だった。ただ、ふと考えてみれば、また、友達から言われてしまった

希がそんなスニーカーを買うのは珍しいね。こだわりとか無いんだ。 

 という言葉を思い返して少し振り返ってみれば、あのオフホワイトの作業用スニーカーを二足買ってしまったのは、本当に残念なことだったと思う。靴は消耗品だなんて信じたくなかった。本当に好きなものを「消耗するもの」、「消耗して当然のもの」として扱っている自分に気づいて、本当に吐き気がした。なんだそれ。つまんない。穴を空けるためだけにスニーカーを買うなんて、そこには自分の好みやこだわりが一切含まれていなくて、ファッションの楽しさをずっと追い求めている自分には全然合わない態度だったと思う。くだらなくない。つまらない。

 靴は履くもので、服は着るもので、スケボーは滑るもので、傘は差すものだ。それぞれ物には目的がついてくる。服は燃やすために手に入れるものじゃない。スケボーを真っ二つにするために買うのだとしたら、それはきっと、とち狂った人か相当な物好きのどちらかだ。物には本来の目的はしっかりある。トイレのスッポンは紛れも無く、トイレの詰まりを解消するものだろう。

 「ファッションとして履く」よりも大きく、「穴が空いても良い」という考えがあった。穴が空いても良いだなんて、もう僕は靴を好きだと大きな声で言えないと思う。この靴は穴を空けられるために作られた訳ではない。まさか自分がスケートボードの上にいるだなんて思わなかっただろう。この靴も。本来の目的以外のことで使われてしまうこれらのスニーカーのことを考えれば、ひたすら可哀想だと思った。

 大事なスニーカーに穴が空いたのを悲しんで、その解決法としておよそ500円のスニーカーをテキトーに買ってしまう。その靴をどうなってもいいとする自分は嫌いだ。自分を少し嫌いになった瞬間の話。根っから自分のことは好きだったけど、この靴を買って満足気にinstagramにアップしたり友達にヘラヘラ話したりしてしまった自分は大嫌いだ。そういう話。心にも穴が空いた話。このオチを言える自分は好きだ。