ぼけーっとする幸せ。

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 ぼけーっとした顔をしてコーヒーを飲んでいるあの時間を、人は幸せと呼ぶのだ。古本屋さんでテキトーに選んだ本を片手に、お尻のポケットに潜ませた小銭入れには800円くらいを突っ込んで。コーヒーだけでは寂しいから、甘いお菓子を横に添えたりする。別に決まって頼むものも無いけど、ひと目見て食べたいものをパッと注文。それを一口食べて、コーヒーとの合い方に微笑みそうになりながらも、「ああ、あれも食べたいな」と浮気がちに思い、また次に来ようとゆるく決心する。読んでいる本はファッションみたいなもので、あらかた頭には入ってこない。

 これは特に夏に限った話でもなく、春も秋も、冬だってそうすることばっかりだ。頼むコーヒーが違うだけで、行動は「コーヒーを飲んでボケた表情をする」という単純な一つ。特別何を思っているでもなく、ただ目を細めてコーヒーをすすっているだけ。季節ごとに楽しいことはそれぞれあるけれど、各季節に共通しているのはそれと「ビールを飲む」という2つだけ。どこまでつまらない人間なのだと思われようとしょうがない。「飲む」という行為には多くの幸せが詰まっている気がする。

 オシャレに思われたいとか、コーヒーもビールも飲めるなんて大人だ、とか思われたい訳じゃない。ここでこうして言葉に乗せているのまでツッコまれたら、たまったもんじゃない。好きだからそうする。好きだからコーラを飲むのと何ら変わらない。

 

 でも、たまにふと思ったりもする。「なんでこんな苦いものを好きになったんだろう」と。ピーマンも茄子も椎茸も、もちろんコーヒーやビールだって。きっと子どもの頃に思っていた「嫌い」という感情は、唯一「苦い」というものから来ていたように思う。苦いものを口にすれば勝手に眉間にシワが寄って、なぜかはわからないけど口から出してしまいたくなる。喉を通るのも嫌だった。ビールは子供の頃に飲んでいないけど。

 どうやら、今こうしてそれらの「苦味」を楽しめていること、それは「アクワイヤード・テイスト」というのが関係しているらしい。これまでの経験から引っ張ってきて、(これはこうかなぁ、これはあの味っぽいなぁ)と考えを巡らせて。経験、その幅や頻度によって、「苦味」に意味を付ける。大学の先生は一昨年の夏、『コミュニケーションは意味付けのことです』と言った。まさに苦味を受け入れられる状態は、コミュニケーションの結果なのだと思う。コーヒーやビールが持つ苦味に対する意味付け。苦味を「イヤな味」から『深い味』のように変えていく試み。

 二文字で「慣れ」と言ってしまえばそれまでなのだが、ここは英語を勉強している身として格好付けたい。Acquired taste。tasteはテイストacquireは「得る」という。自分から動いて身に取り込むイメージ。acquireを"acquired"とするのは、受身形から来ていて。「得られた味」。アクワイヤード・テイスト。

 これからはきっと、コーヒー屋さんにてぼけーっとしながら、「これがアクワイヤード・テイストねえ」とコーヒーカップを撫でる人になるのだろう。結構ヤバい奴だと思われそうだ。やめておこう。