読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ドクターマーチンに、水滴がいくつか。

https://instagram.com/p/5EaL5FTKK-/

 ブーツに思いっきりコーヒーをこぼした。美味しいアメリカーノをびっしゃりと。パンツも少し濡れて、革のブーツは水を弾いて水滴を乗せて。

 唐突だが、「汚いままで良い物」というのはなかなか存在しない。どちらかと言えば汚いよりは綺麗な方が良いはずだ。服はベチャベチャに濡れていない方が良い。食器だって、トイレだって、ベッドの上だって、引いては人間だって。ほとんどの物は、綺麗にされている方が良い。

 ただ、「例」があればそれに付随して「例外」というものもある。ルールを決めればそれを破る者が現れて当然で、それこそが人のサガだという考えだってある。立入禁止区域を見つければ、入ってみたくなるのが人間というものだ。

 「綺麗な物は良い」という至極当然かのように思われている、常識のようなもの。それに対抗・反抗する「汚い物は良い」という考え。それが通用するのが、ドクターマーチンのブーツだと思う。僕が触れてきたもののうち、とても大きな例外。コーヒーをこぼしたのを肯定化したい訳じゃない。「大丈夫だよな」と自分に言い聞かせている訳でもない。ドクターマーチンのブーツは汚くていいのだ。

 

https://instagram.com/p/wQc7QpzKN7/

 カウンターカルチャー。反抗の文化。何がトラディショナルじゃボケ、と。これまでの文化をぶっ壊して、破壊して破壊して、新しい文化を形成する。たとえばそこには、安全ピンで雑に補修された服たちや、肩がベロッと開いたガーゼシャツなどがある。Tシャツに穴が空いても気にせず着倒して。アナーキーだな、って。「穴空き」と「アナーキー」とのダジャレはどれほどの数の人間が言ってきたか分からない。

  汚くて良い。汚い方が良いのかもしれない。そんな文化がはたしてあっただろうか。怠惰とはまた違う。だらしないまま居よう、部屋も汚いままでアナーキーさ、なんていうぬるま湯じゃない。多分。きっとそれは怠惰ではなくて、寛容なんだと思う。許容のような。それでいいよ、という受け入れ。何だっていいんだよ、という広い気持ち。

 甲本ヒロトは言いました。

ルール破ってもマナーは守れよ。 

 これが「パンクロック」を表した言葉として最適なんだと思う。『人にやさしく』と彼が歌った所以が理解できる。人には優しく。つまらないルールはぶっ壊しても、それでもマナーを守ってみんなに優しく居ること。この世界で一番やさしい音楽は、パンクロックなのかもしれないな。言い過ぎだろうか。

 ドクターマーチンの話から脱線してしまった。やはりドクターマーチンを語るにあたって、パンクロックの文脈は無視できない。それほど密接に関係し合うふたつ、ドクターマーチンとパンクロック。きったなくても、どっかが壊れていても、そのままでいい。何だっていい。アナーキー。無政府だ。ルールなんて無いのさ。そうやって甘やかすもんだから、怠惰として勘違いしたバカな自分がいつまでも、ドクターマーチンに付いたコーヒーを拭き上げることなく履き続けるのだ。