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感じ方の話。

 

久々に会った友達の足で揺れているシアサッカー生地。公園で口げんかをしながらサッカーボールを取り合う子ども。駐輪場にどっと増えたママチャリの数。ベランダの柵にかけられたふかふかの布団。色とりどりのスニーカーで溢れる靴箱。風のせいでハットが飛ばされるのと、スカートがひらっとめくれてしまうのを気にしている女の子。オーシバルのバスクシャツの赤、青、緑。

春を感じるためには、「桜が絶対条件」というワケはない。人が100人いれば、100通り以上の「感じ方」みたいなのがあるはずだ。もしかしたらそれが「人との別れ・出会い」かもしれないし、「ファッションブランドの秋冬コレクション」かもしれない。様々あって、そのひとつひとつが彼・彼女にとっての指標。

だからと言って、「桜に感動するな」と言っているわけではない。奇をてらえ、個性的な視点を誇示しまくれ、なんてことは言えない。桜はきっと綺麗だ。みんなに綺麗。『桜が綺麗なのは儚いからだ』と言った中学の先生を思い出した。これも感じ方。中学生の僕には全く意味がわからなかった。なんだよ、「はかない」って。でも、わからないからこそ、きっと人の考えはそれぞれなんだなと思った。

 

日傘を差している女の人も、マクドナルドの「さくら推し」も、クローゼットの奥底に眠っていた薄手のシャツも、全てが春を感じさせてくれるためのきっかけになる可能性がある。水道から出る水が少しぬるくなっていたり。就職が決まった友達のFacebookの投稿だったり。

ちょっと無理矢理だけれど、感じ方や見方をわざと少し「斜め」にしてみれば、ものへの対峙の仕方が変わって、自分の中に生まれる反応が今までと違うものになっていく。ただ、それも「斜め」であって90°以上そっぽを向いてしまうことではなく。人の視野にかけてみた。伝わりにくいか。

そうなれば、向かってくるもの全部が見えなくなってしまうから。真っ直ぐな物にも反応できるくらいの、斜め。ここでの「真っ直ぐな物」が、さっきの桜の話で。せっかくなら桜にも反応できる方が良い。言ってしまえば目を何個も欲しいところだ。すごく感覚的な話なんだけど。首を一生懸命ひねって書いてみた。辛いダブルミーニング。「斜め、うん。斜め。」と自分に暗示をかけるようにうなづいた。

 

ここで、最初の話、「感じ方はそれぞれ違う」に戻ってみる。僕の話は寄り道が多すぎる。書きたいことが多すぎる。ミニマルが好きだ、というのはきっと憧れだ。自分と違うから好きなんだ。きっと。またこれだ。これも寄り道だ。

人の考え・感じ方がそれぞれなのは、さっきの「角度」がそれぞれ違うからだと思う。甲本ヒロトが言っていた言葉に、

まっすぐできれいな線なら練習すれば誰でも描ける。でも自分にしか描けないゆがんだ線ってあるでしょ?それを描くのが面白いんだよ。

というのがあって。たぶん今回の話と、この言葉は似ていると思う。まっすぐ見ている人と、どっか違うとこを見てる人。桜に春を感じることなら誰でもできる。でも自分にしか感じられないゆがんだ視点ってあるでしょ?それを感じるのが面白いんだよ。ということ。