明言のすすめ。

https://instagram.com/p/0VWHm4TKNP/

 

単純にタイヤが4つ積まれているだけと見るのか、スタッドレスタイヤではないと見て春を待つ人の姿を思い浮かべるのか。別に他人に「こう感じろ」と強要するつもりも無いし、オリジナリティを保ちたい僕は人に真似されるのは嫌だ。ただ、少なくとも僕は後者の『タイヤ4つに春を待つ人を感じられる人間』でありたいと思います。独自ではないかもしれないけど、こういうものの見方、視点を大事にしていたいなぁと思う。で、偶然にもこう感じる人を見つけた時には、彼や彼女もまた大事にしていたいなぁ、と。

ものの見方は人それぞれで、どんな人がどんな視点や眼鏡、感性のようなものを持っているのかは、一見では全くわからない。電車で隣に座っているおしとやかな女の子が耳に入れているイヤホンからは、峯田和伸の叫び声が響いているかもしれない。おばあちゃんが背負っているリュックに書かれた「THRASHER」の文字には、昔の名残が含まれているのかもしれない。その可能性はほとんど否定できるけど。

何が好きで、何を面白いと思うか。どんな考え方の過程を辿るのか。そんなの誰にもわかりません。言うか聞かれるか。そのどちらかの方法を取るより他無く、黙って下を向いていては何も理解されず、何を理解することもできません。

 

ちょうどいい社会が出来上がっているじゃないですか。SNSがあるじゃないですか。僕は根っからのTwitter好きで、いつもどこでもTwitter。先月東京に遊びに行ったのも、Twitterの友達に会ってみよう」なんていう理由で。みんなからバカにされますけどね。大学の講義内のプレゼンテーションで、僕のツイートが、バカでかいスクリーンに写されたこと。それも良い思い出だ。たぶん。

思っていること、「こう考えてこう思ったんだ」という内側。「こんなのが好きなんです」という内側のぬるぬるした部分。それを表現するためのSNS。言葉で伝えたければTwitterを使うのが良い。写真で伝えたければinstagramを使うのが得策。あとは何があるかな。

 

友達に直接ダラダラ話すのも勿論良いんだけど、良いんだけど。きっといつか飽きてしまうんだろうと思います。僕なら嫌だ。もしも自分が2人いて、今の自我がある方の今の僕に対して

「ねえねえ、これって春を待ってるっぽくない!?」

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嫌だ。「はぁ?」ってなってしまうに決まってる。「何言ってんだこいつ」と。だから、SNSくらいのゆるさがちょうどいいんじゃないかと思うんですよ。付かず離れず、ではないけど、なんかそういう感じ。言葉にしづらい。

母親から『アンタは何を考えてるのかわからなくて怖い』と言われた日のことを今でもずっと覚えています。別に今となって腹が立っている訳じゃなく。そりゃわからないです。言わないんだもん。反抗期の僕は完全に閉じ切って。1人でニヤニヤしてた。「誰にも理解されなくて良い」とか、「俺1人だけで面白ければそれで満足」だとか言いながら。

僕は良い意味で大人になれました。やっと大人。楽しい・面白いことを1人でグツグツ煮やしては独り占めして怪しい顔でニヤニヤする子どもから、やっと「これ面白いと思う!!」と言える様な大人になった。自分の思考の道筋を、人に惜しげなく伝えられるようになった。それも、SNSが助けた部分だと勝手に思っています。『どこまでTwitter好きなんだよ気持ち悪いな』との声も聞こえるけど。

 

自分が好きなもの、興味を持っていること、好きな女の子のタイプ、全部言ってみたら良いと思います。どっかで。少し間接的な方法を使ってでも。何かの雑誌に載っていた箭内道彦さんは、ジャージが好きだとずっと明言していたそうです。そしたら、EXILEの誰かから実際に24karatsのジャージを贈られた、と。あんまりハッキリ覚えていないのが勿体無いですが、そういうことを雑誌で読んで知りました。これだってそうだよ。彼がジャージ好きな人だと知ってしまったのも、彼が「ジャージが好きで…」というのを雑誌で取り上げられて、僕がその雑誌のその部分を読んだから。明言のすすめ。

僕は100万円が好きで、新型MacBookが好きで、玉城ティナさんが好きです。はい、終わり。