マナビをマナブ。

2日ほど前に参加したワークショップ。僕の大好きな人から『おいでよ』と連絡を貰って、バイトを無理やり休みにしてもらって参加しました。


2015年 学びはじめ Learning by XXX マナビをマナブワークショップ

『学び』。簡単なことば。「ま」と「な」と「び」のたった三文字、小学生でもわかるような簡単な構成。誰もが耳にし、一度は口にしたことがあることば。でも、『勉強』とは違うのでしょうか。『勉学』とは何が違う? 

学び(まなび、: learning, study, lesson)は、人間が何らかのものごとを新しく身に付けるようとする営みのことである。

学び - Wikipedia

 

Wikipediaはこう言いました。"何らかのものごとを新しく身につけようとする営み"。新しく身につけようとする営み。つまり、何かの能力を自らのものにするための動き。

このワークショップの中で、彼が何度も言っていた言葉があります。それは、

意味付けをしよう 

 ということです。『意味付け』とは、何らかのものを見たり聞いたり感じたりしたときに起こす反応です。例えば「赤い丸と黄色の三日月形」を見た時に、(これはリンゴとバナナだ)と思考をめぐらせるような。クラシック音楽を聴いた時に、(なんとなく森の中にいるっぽいな)と勝手に考えるような。自分で辞書を作るイメージ。

『コミュニケーションは意味付けである』という言葉があります。例えば男女の会話の中。

 

女性:ねえねえ、 ご飯どこ行く?

男性:うーん、なんでもいいよ。

女性:「なんでもいい」って何なの!

 

これは女性が怒ってしまうのも当たり前なのですが、ここでさっきの『意味付け』をしてみましょう。 『意味付け』には、「もしかすると」が必要不可欠です。

もしかすると、女性の中には何かハッキリした「食べたいもの」があったのかもしれない。そこで、男性に対して尋ねることでその「正解」を当てて欲しかったのかもしれない。

もしかすると、男性が発する『なんでもいいよ。』には(この子と一緒なら何を食べても幸せだから)が頭に付くかもしれない。でも、直接それを言うのは恥ずかしいから、あえて口にしなかったのかもしれない。

こういうことが、言語のコミュニケーションにおいてはどんどん現れてくるわけです。言葉が耳に入ってきた時に、それをどう解釈するかどういうことを伝えたくて発された言葉なのか。それらを考えて、自分の中で「こうだ!」とするのが、先ほどの『意味付け』です。

 

ここで、wikipediaがさっき教えてくれた言葉に立ち返ってみましょう。

学び(まなび、: learning, study, lesson)は、人間が何らかのものごとを新しく身に付けるようとする営みのことである。

学び - Wikipedia

 

"何らかのものごとを新しく身につけようとする営み"。新しく身につけようとする営み。つまり、何かの能力を自らのものにするための動き。これって、『意味付け』と全く変わらないと思います。

新しく耳に入ってきた、目に飛び込んできた情報を自分の頭の中でぐるぐるさせて、自分なりに解釈して、ものにする。『自分なりに解釈して』の部分が、全く同じです。そういうことなんです。

だから、僕がこのワークショップで学んだことは、

 学びはコミュニケーションだ

 ということです。何かに触れた時の反応としての『意味付け』。それはまさにコミュニケーションなんじゃないかなと思ったんです。これを思うことも、もはや『意味付け』なわけで、メタ的な部分であるわけで、ワークショップの名前の『マナビをマナブ』のメタ感にもちゃんと引っ掛ける僕のセンスは最高なわけで。