同じ匂いがする人。

大事な友達と一緒に焼肉をしに行きました。あいにく写真を撮り忘れてしまったけど、写真に残さなくても全く問題ないほど濃い時間でした。

思えば色んな話をしたような気がします。アニメの実写化について、人間関係、恋愛の話まで様々な話を。どれもがものすごく楽しくて、なんだかずっとニコニコしていたような気がしました。愛想笑いは1つも含まれていない、正真正銘すべて本物の笑いでした。

その中に特別1つ、特別面白かった話があります。

 

言葉を噛み砕かなくても、気を遣ってレベルを合わせなくても、ちゃんと言葉にしたことが伝わる関係って貴重だよね。

 

僕は今までコミュニケーションがどうとか勉強してきて、相手に合った言葉の発信をずっと心がけてきました。子どもと話す時には子どもがわかりそうな言葉を使ってあげて、同じ趣味を持つ友達と話す時にはその趣味の中のワードを使って。

その人に合った言葉を届けてあげることで、きっと喜ぶんだろなと思っていました。それは今までずっとそうしてきて、確信を持って。

でも、なんか疲れちゃうんです。合わせる努力は。そのほとんどが下を向いたものだと思ってしまいます。「この人はわからないかもな」と思って、噛み砕いてあげて、おかゆみたいになった言葉を口に流し込んであげたり、そこまでいかなくともお椀に盛ってあげたり。

レベルを合わせるということの中には、自分よりもレベルが上な人に合わせることを含んでいません。合わせて「あげる」くらいのがピッタリなのかもしれない。

だから、気づいた時にはもう完全に見下してしまっているんです。(この人はわからないだろうからもっと簡単にしてあげよう)と。いや、もちろん本当に良いことなんだけど。


で、さっきの言葉が友達の口からポンと出てきたわけです。

 

言葉を噛み砕かなくても、気を遣ってレベルを合わせなくても、ちゃんと言葉にしたことが伝わる関係って貴重だよね。

 

まったくその通りです。貴重だと思います。自分が言いたいように話しても、自然と伝わってくれるんだから。レベルの下げなんか全く必要無いんだから。めちゃくちゃ楽です。

思ったことを、そのまま思ったとおりに発していいんだから。言ってしまえば垂れ流しです。言いたいことを言いたい形で言えることです。そりゃ「垂れ流し」とは言っても別にエロいことを思い浮かんだ時にいつでもえげつない下ネタを言っていい、ってことじゃないです。グロテスクで非道なことも、言っちゃダメです。「垂れ流し」は言いすぎました。

本当に言いたいことを、思った形で言い合うことができる関係です。噛み砕いて、その人のお皿に合った形に変えてあげる必要が無い、という関係。少しややこしく言えば、「同じ形のお皿を共有している状態」。

それはとにかくいい関係だと思います。なぜなら、思ったままのものは純粋だからです。形を変えれば言葉はニュアンスをちょっとずつ変化させてしまうから、元の意味とはちょっと違うかもしれない。

『そのまま渡すことができればもっと的確に伝わるのに』ということがあります。もともと伝えたかったことが、そのまま原型で伝えられること。幸せなことです。

  

この言葉を言った友達から『三浦は言葉を大切にしていてすごく良いと思う』との言葉を貰いました。後出しジャンケンじゃなくて、本当に大事に実践してきたから、それがしっかり伝わっていることが幸せでした。

こういう内容を話せる仲だからきっと、彼の『良いと思う』は薄っぺらいものじゃないんだろうなぁと思います。嬉しいですね。にやけてしまうなぁ。