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『もらいもの』の美学

 高校生の頃からずっと、ファッション雑誌のスナップの中に書かれている『もらいもの』というのが格好良いと思っています。

 『パンツ:もらいもの』って、なんか格好良いんですよね。(あー、素敵な友達がいるんだなぁ)と思ってしまう。『朱に交われば赤くなる』じゃないけど、そもそも朱には赤が近づいてくるというか。ちょっとよくわかんないです。言葉の意味も全然違うし。何言ってんだろ。
 
 自分のセンスが、それをくれた人にちゃんと伝わっている。わかった上で何かをプレゼントしてくれている。そうでもなきゃ人から貰ったものなんか身に付けません。
素直に羨ましいです。僕にはそんな人はほとんどいません。下の記事に出てくる、大井という奴が、僕を理解してくれる少ない友人のうちの一人です。
 
 
 ものをあげる時は「ちゃんとフィットしたものをあげなくちゃいけない」という責任と、「喜んでくれるかなぁ」という不安が毎回ついてきます。
訳のわからないものなんか、気軽に渡せません。変に気を遣わせるのも嫌だし。
 
 
 このように、もちろん人に「何かをあげる時」には勇気や責任感が要りますが、一方で「ものを貰う時」にも大きな勇気が要ります。
 一度貰ってしまえば、それから先どこかでゴミ袋に入れて捨てるのもちょっと違うし。かといって『いやー、要らないかなぁ』とバサッと切り捨てて断るのも残酷。
 一度貰ってしまっては「どこかにそれを生かし続けなくてはいけない」みたいな、決心や義務感の様なのが必要になります。考えすぎですかね。
  
 僕が手に入れる服で、友達に似合うだろうなぁと思ったものは、すぐにその人にあげてしまいます。きっと気持ち悪がられているだろうけど。MHL.のリネンのパンツも、鯉の絵が描かれた総柄のTシャツも、(あー、あの人ならきっとこれが似合うんだろうな)と思った段階で、パッとあげてしまいます。
 「この人にはこのTシャツが似合うだろうな」、「あいつにはこのパンツが絶対しっくりくるな」と考えることはとても楽しいです。そのために服を買うことがあるほどに。リネンのパンツと鯉のTシャツはそうではなかったけど。
 
 でも、そこに毎回付け足す言葉があります。それは、
 
『気に入らなかったらいつでも捨ててねー』
 
という言葉です。『つまらないものですが…』と言葉を添えてお中元を出すのと全く同じです。
 それは、重たくなってはいけないからです。どこかで僕のパンツやTシャツが重荷になってしまっては、かえってそのプレゼントがマイナスになってしまうからです。ゴミ袋に入れることを躊躇させてしまってはいけない、と思っての言葉。
 食べ物などの、消えてしまうものはラクです。みんなが『美味い!』と言っているものを選べば何とか正解になるんだから。相手がいつか絶賛していたものをバシッとあげれば絶対喜ぶんだから。
 
 ずーっと書いてきたように、『プレゼント』って物凄く難しい文化だと思います。ちゃんと相手のことを理解した上での、確認作業的な面が強いです。「お前、これ好きだよな!わかるよ!」なんていう。
 本当にわかっていないとできない行為です。理解と誤解による、それぞれの結果の差がものすごく大きいです。それが服のような「残るもの」についてだと。
 それに関して、ファッション雑誌の上の『もらいもの』は凄いんです。それを身に付けて、全国規模の雑誌メディアに載るわけだから。本にも残ってしまう。みんなの目に晒されてしまう。
 無理矢理ですけど、本当に心から思います。