感謝と炭酸で腹がはち切れそうだ。

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 豊島区東長崎にある、中華屋。「晩酌セット」の5文字に惹かれて、29歳の友達とフラフラ入った。彼女は『汚いところは嫌だ!』と何度も言っていたけど、それを押し切る形で入店。980円で飲み物が1杯、中華料理が3品。3品。エビチリ、ホイコーロー、豚ミミの和え物。向こうが何を頼んだかは今や覚えていないが、十分に素敵だったと思う。ユーリンチーもあったか。それらを前に、途中何度も『やー、もしかしたら最高かもしれない』と言っていた。

 

 今の職場の就業時間は18:15で、それからのんびり喫煙する。18:40には喫煙所を出発、18:50に中華屋に到着。「3品ずつ」をテキトーに頼んで、ビールで乾杯。早々に飲み終えては、19:00までのハッピーアワー、200円のビールにしがみつくようにおかわりをする。さっきの1杯目のスピード感のせいで、徐々に酔いが回ってきた。ごまかすように口に突っ込んだ濃い味のホイコーローが幸せだ。

 酒を飲んでいる間は、関ジャニ∞渋谷すばるがどうだ、今季のアレコレが格好良い、上司のあの人は何を考えているんだ、彼女とはどうなんだ、みたいなことを話す。特にしなくても良い話ばっかりで大した盛り上がって、ゲラゲラ笑う。テーブルにこぼしたエビチリのソースを『おら、舐めろ』と言われて、「きったねえ 本当に無理だよ」とここでも笑ってる。

 アンダーカバーが好きな、気の優しい29歳。話し口は柔らかだけど、奥底にどす黒い考えを秘めてる人。それを特別僕にじんわり垂れ流してくれるような、僕を信用してくれている人。職場でこんな良い人に出会えるとは思っていなくて、3ヶ月が経った今こうして文章にしてみると、彼女の良さが実感できて嬉しい。

 

 人との出会いは尊いもので、運命的だ。パラレルワールドのことを少し信じてみたくもなる。大学4年の僕が普通のルートでどこかに就職していたら。浪人せずにストレートで大学に入学していたら。中学校の頃に憧れた、介護の仕事を選んでいたら。何なら、引きに引いてはお父さんとお母さんがそもそも出会っていなかったら。きっと、今僕の周りにいるほとんどの人は消えてしまうだろう。全然違う人生を歩んでいたことだろうと思う。そもそも、60マイクロメートルのオタマジャクシみたいな形のまま、ティッシュの中でゴミ収集日を待っていたかもしれない。

 今の僕を作った全ての事象のうち、一つでも欠けてしまえばきっと、今の恋人に出会うことも無かっただろうし、同居人の2人と仲良くできている現在は確実に無い。地元の友達の結婚をめでたく思うことも無かった。上の写真の友達とビールで酔うなんて、あり得ない。

 そう考えてみれば、今自分に関してくれる全ての物や人に対する「感謝」や「ありがたみ」みたいなのが生まれて当然だ。感謝ばっかり。お父さん、お母さん、死んだじいちゃんとばあちゃん、そのまた前の、顔も見たこと無い先祖の方たちに対する感謝。これまでの自分の生活そのものに対するありがたみ。それはそれとして存在できたということ。もう、全部。もれなく全部。全部本当にありがとうございます。対象の範囲が大きすぎて包括し切れない。とりあえずアヤコさん、これからもよろしく。結構うまかったですね、中華屋。

 

シュールを蹴飛ばせ。

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 シュールが分からない。僕が書いたこの短冊を見て、友達が『シュールだね』と言った。真顔で。僕は意味が分からなくて、「シュールって、どの辺が?そもそもシュールって何?」と言った。彼は首をかしげて、『え?シュールはシュールでしょ なんか、よくわかんない笑いのこと』と言う。

 僕は余計に分からなくなって、それでも、このままじゃ話が永久に終わらないなぁと思って、「ああ、そういうことか そうだよね」と返事。全然違う、パンケーキの話を始めたら『お前、そういうところあるよね パンケーキになんか全然興味無いのに』と言われて赤面する。

 おぎやはぎは面白いと思う。バナナマンも相当笑える。ラーメンズは…あんまり分からない。シュールと言われている芸人さんたちを挙げてはみたものの、やっぱり分からない。シュールって何なの?『シュールな笑い』と表現していたのに全く笑っていなかったのは、どういうこと?

 ヤフー知恵袋を見た。

シュールとは、「現実離れしたさま」、「普通の理屈では説明できないさま」、「難解で奇抜なさま」、「幻想的なさま」、「意外なさま」など、非日常的なものを指す言葉。 語源は、20世紀前半の前衛芸術運動であるシュールレアリスムシュールレアリズム)から。

 非日常。普通の理屈では説明できない。幻想的。意外。説明文の中に『普通の理屈では説明できない』なんて書かれたら最後、誰も何も分からないよ。何一つ掴めないから、インスタントに分かりそうなウィキペディアを見る。

芸術運動のシュルレアリスムでは、その多くが現実を無視したかのような世界を絵画や文学で描き、まるで夢の中を覘いているような独特の非現実感は見る者に混乱、不可思議さをもたらす。

 現実を無視したかのような世界を描く。独特の非現実感がもたらす不可思議さ。ざっとまとめて「よくわからない」としてしまいたくなる。全然わかんないよ。

 

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 いや、分かるじゃん。洗濯物が乾かないんだよ。だから願ってるのよ。湿度が90%でも何とかなりますように、という要領で。現実感満載だよ。生活感だよ。非現実でも不可思議でも何でもない。実に十分現れるし、思議できるよ。

 よく分からない。これもシュールなんですか?

大人になれば。

 

 代引きで注文したTシャツが届いた。またも黒の一着。着物に柄を乗せる技法、「蝋たたき染め」というのを使っているらしい。首元から脇腹あたりまで、グラデーションの様に白の粒子がくっ付いている。かなり格好良いと思い、春からずっと購入のタイミングを待ち続けていた。大学の頃と同様、東京に来てからも給料のほとんどは酒に消えたが、その一部をとっておいたのが幸いだった。嬉しい。


 僕はまだ子供だ。コンビニで買うお菓子は家に着くまでに全て食べきってしまうような男だ。映画を観ればたちまち影響されては、ヘインズのTシャツの袖に煙草の箱を装着する。「ソラニン」を見た直後には、即座にリサイクルショップへ走った。3000円の中古ギターを買って、中指を痛めた。それは4,5日で終わって、ギターには埃。赤い指はすぐに治った。

 そういう男だから、素直に順当に今回も、届いたTシャツを洗濯もせずにそのまま着て出かけた。髪には大雑把にワックスを付けて。日高屋のガラスに映った自分を見て、(Tシャツほんとかっこいいな)と思いながらニヤけ惹かれていたら、大学生みたいな人が乗った自転車に轢かれるところだった。ちょっとくだらないな。

 

 ドトールコーヒーで小休憩。頼むのはいつもと同じSサイズのアイスコーヒー。ハーフっぽい店員さんが可愛い。中年の店長らしき人は、地元のパチンコ屋の店員に似ている。喫煙席はおおかた満員で、ちっちゃいテーブルに滑り込んだ。山本耀司の真似をして吸っているハイライトの箱をそこにぶん投げて、彼が作ったY-3のショルダーバッグを向かいの席に置く。

 向こうの方で名刺整理にいそいそしているお兄さん。家賃50,000円の部屋を必死に推しているおじさんと、推されている女の子。隣の席に座っているおじさんはコーヒーの下に紙ナプキンを敷いていた。僕を挟むもう一方の隣に座るお姉さんも、同じく敷いていた。僕は丸テーブルをグラスの汗でべしゃべしゃに濡らしていた。大人と子供の境界線はここなのかもしれないと思った。

 

 名刺整理のお兄さんが急に席から立ち上がって、アディダスのリュックを背負った。(帰るんだなあ)と思いながら観察していると、グラスの中には4割くらいコーヒーが残っていた。席を直して、灰皿を手に取って、スタスタ歩く。コーヒーはここでも残ったまま。ガラスに反射する彼の姿を目で追うと、4割アイスコーヒーの残ったグラスはそのまま返却口に置かれた。程なくして彼の背中が見えなくなった。

 

 大人になるということ。おしっこを我慢しなくなったり、茄子の旨さに気づいたり、硬いヒゲが生えたり。革靴が欲しくなるのもそうだ。ドトールコーヒーにて、今日は、「コーヒーをちょっと残す」というのも増えた。僕のグラスの中には、薄い茶色をまとって溶けかけた氷だけ。大人って難しいね。

白黒写真の中で一際目立てるね。

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 いつの間にか、白と黒の服ばかりを身につけるようになった。コムデギャルソンのポリ縮絨のパンツはもれなく毎日穿いていて、そこに合わせるTシャツはいつも黒。もしくは写真のように白。たまーにグレー。持っている靴は、ネイビーのドクターマーチン8ホール以外すべてが黒。優柔不断でいつももやもやしている僕は、服装ばかりが白黒ハッキリ決まっている。

 色彩豊かな格好をするにはもう、僕は落ち着きすぎた。大酒に酔っ払って電柱を吐瀉物まみれにすることは無くなった。(どうにかしてあの子と付き合ってエロいことをしたい)と思いながら、汗をかいて妄想していた日々が懐かしい。僕はあの頃から比べて、少し大人になった。あんまり目立つ服を着なくなったのも、きっと大人になってきたからだろう。

 

 少し前までは、「バックプリント」というのが本当に嫌いだった。背中にあれこれ描いてるやつだ。せっかくのプリントを自分で見ることができないし、馬鹿にして僕に後ろ指を指す嫌な奴も確認できない。嫌いな物が特に無かった自分にとって、唯一悪と言えるほどの物だった。

 そんな僕が、今や背中に上向きの矢印を背負っているときたもんだから、笑える。仲良しのアヤコさんは『えーちょっと気持ち悪い』と言った。下品な話だが、『前にぶら下がってる矢印は下向いてるのにね』と言った。心底好きだ。「たまに!たまに上向くんすよ!!」とニヤニヤしていたら余計に気持ち悪がられた。上、向くんだけどなぁ。

 

 人の好みなんか、だんだん変わっていくよ。僕はもうナイキのバッシュみたいなスニーカーを履かない。カラフルな服装のスタイルには飽きた。ファッション以外で言えば、あれほど好きだったガーナの板チョコを買うことは無くなったし、つるっとした赤ちゃんみたいな顔をした女の子は、今はあんまり好みじゃない。諸行無常の響きに揺れに揺れ、いつかの自分はアルバムの中。花に嵐のたとえもある。そういうことです。

好きなら何でも良いよね、という話。

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 写真の撮り方は、「日の丸構図」しか知らない。ブルーハーツの「夜の中を」という曲を聴いたことが無い。ホップがもたらすビールの味の変化を知らない。上面発酵の良さもよく分からない。喫煙所で『アンダーカバーはパターンが…』と話している女の人が居て、「パターン」なんていう単語を使ったことも無い自分に気がついた。同期が『ZUCCAは縫製が好きじゃない』と言ったのを羨ましく思った。

 好きなことに関して、知らないことがたくさんある。写真を撮るのも、ブルーハーツの音楽も、ビールも勿論、服だって好きだ。でも、それぞれにいくつかずつの「知らないこと」がある。知り切ってしまえば幾分か増して楽しくなるのかもな、とも思う。

日本人はミーハーを許さない 

 こういう言葉をどこかで聞いたことがある。それにいちいち付随する『誰もが最初はミーハーだったんだ』という言葉も。たしかにそうかも。オーリーができなきゃ「趣味はスケートボードです」と言いにくい、みたいなのが確実にある。被害妄想的な机上の空論みたいなのではなく、確かにこういうのがある。

 

 良いじゃん、と思う。僕も『誰もがみんな最初はミーハー』という言葉は、強いと思うし支持したい。良いじゃん、好きなら。女の子を好きになるのを考えれば、胸のカップ数やら鼻の高さの数センチを漏れ無く知り尽くしてから「好き」なんて言う人は居ないじゃん、と思う。これは完全に変態の域であり、紛れも無く言い過ぎなんだけど。

 好きなら何でも良い。「好き」に度合いの上下関係は無い。好きなら好き。もちろん、全てを知った上での「好き」も良い。でも、それが最高で頂点だ、という話ではないよ。縫製の話をした同期に張り合う訳でも、妬んでいる訳でもない。それはそれとして良い。全部良い。カレーパン美味しかった。好き。終わり。

終わりはいつも悲しい。

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 悲しい風景というのがある。「壊れる」「崩れる」「消える」みたいな、1から0へ向かった矢印みたいな特徴を含有する風景は、いつもそうだ。悲しい。それまでは生を続けていた物が、解体の始まり、一瞬からじわじわと消えていく。よっぽど真新しい手ぬぐいの端でほつれを始めた糸のような。木の枝に引っかかったアラジンの空飛ぶじゅうたんのような。

 「終わりの始まり」が「始まり」であるということを証明しようとする、僕の「インドゾウはゾウだろ だったら、"終わりの始まり"は"始まり"でしょ」の論。ここでは、その意気がった反抗らしい言葉は不能だ。終わりの始まりは「終わり」である。さらに、やっぱり終わりは悲しい。

 終わりゆく途中というのも同様に悲しい。「終わりの始まり」があれば、『終わりの途中』も『終わりの終わり』もある。「終わる」というのは、ある一定の期間をもってなされる。アナログだ。人間の心を打つのはいつもアナログだ。桜の花が散るのが「美しい」とか「儚い」ものと思えて、心が打たれてたまらないのは、アナログだからだ。花びらが空中をひらひらと舞う景色が、目に見えてしまうからだ。

 これは暴論にも取れるはずなんだけど、絶対にそうだ。デジタルな物が人の心を打つのは、人間の心のフィルターを通り抜けた後であり、人間臭いアナログな解釈を経た後だ。

 

 乱暴にぶっ壊されていく途中の家を見て悲しいと思った。(ここに住んでいた人は立ち退かされたのかな)とか、(最後はどんな顔でこの家から目を離したのかな)とかいう、余計な感受性が顔を出す。0か1で、一瞬のうちにパッと消えてくれるなら、こんな心配は存在することもできなかった。アナログな中途の経過を奇跡的に見られて、知ってしまった以上、悲しむ責任が出てきてしまったのだ。「終わり」に時間的幅があるせいで。飛び出た断熱材が見えてしまったせいで。風が吹いて防風ネットみたいなのが揺れたせいで。

 「儚い」というのもそうだ。語のイメージとしての色はきっと薄いグレー。淡くて、消えやすい色。きっともう少しで消えてしまいそうな、弱々しい感じ。これもアナログだ。確かに鮮明に消えてはいなく、しかし同時に「色として存在している」と断言することもできないような。0.1,0.2が首の皮一枚で続いていく。およそ禿げ上がった冬の木にしがみつく、一枚の枯れた葉っぱの色。これが心を打つのだ。0でも1でもないから。

 

 結局は他人の家であり、自分が住んでいるマンションはここに関わるはずもなく生きている訳だから、別に何でもなく特に僕が気をしおしおさせる必要も無い。でも、通勤路にこの家が立っていたのをいつも見ていた僕は、ついつい母親譲りのおせっかい心を震わせてしまう。立派な何になるでもないおせっかい心。形式だけにて優しくあろうとするアナーキズム。上の、4日前に撮った写真の家は、今日の夕方の帰路で確認した段階、とっくに消えて跡形も無くなっていた。それで良いと思った。終わり。

アル中予備軍の戯れ言を聞いてくれ。

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 酒が好きだ。これまではバカの一つ覚えみたいにビールばっかり飲んでいたが、最近いよいよ焼酎にも手を出すようになった。こればかりは断言する。下っ腹が出たせいだ。プリン体がどうのこうのは理解できない。僕は完全文系だから、理系のことは分からない。でも、あの「プリン体」とそれがもたらす腹への効果は本当なのだと思った。僕のお腹は妊娠2ヶ月の妊婦さんのそれみたいになっている。早く産まれてくれないかと願うばかりだ。

 僕が酒を飲みたい時には毎度毎度、同居人がご一緒してくれる。気まぐれな性格を振りかざしては「酒飲みに行こう」と言う身勝手な僕に、いつも付いて来てくれる。酒を飲めない同居人は、決まって僕の目の前で定食に食らいつく。だらしない顔で「おつかれっす」と言う僕を、同じくだらしなくニヤニヤしながら無視して、ラーメンにフゥフゥと息を吹きかける。酔っ払って、彼のにやけた顔に副流煙をボワッとかけたら怒られた。僕はふざけ過ぎるところがある。

 

 やっぱり俺は酒が好きだ。焼酎でもビールでも日本酒でも何でも好きだ。味はあんまり分からないけど、ウイスキーも好きだ。要は何でも良いのだ。酒であれば、何でも良いのだ。酔っ払って幸せであれば。えびす顔でふざけられれば何でも。普段から特に張り詰めて生きている訳でもないが、酔っ払って特別のんべりしていられれば良い。僕は結構ダメな奴です。